by 黒川洋介氏
創立20周年を迎えられたことお祝い申し上げます。
20年という永きにわたり日々更新を続けて来られたKEN会長に、心から敬意を表します。
素人による体験談が投稿されるWeb空間に、会員・非会員のみなさまの篤い性欲が集まり、20年変わらず性風俗のさまざまな流行語や単位を産み出す情報発信の場になるとは、開設当時の方々は誰も想像されなかったでしょう。
ベンチャー企業の生存率は、日経によると20年後に0.3%です。2018年(平成30年)に同じく20周年を迎える代表として、Google社があります。日ピン研とGoogle社は、当初はビジネスモデルとして違ったとしても、広く収集した情報を編集し無償で公開することに価値を持たせた先駆者であったが故に、生き残り発展したのは間違いなく同じであると言えます。
今年の新成人の人口は123万人(女性60万人)で、創立当時の1998年に成人を迎えた人口は174万人(女性85万人)でした。ちなみに私と同じく還暦を迎える方は154万人もいます。我々を癒やしてくれる風俗嬢の供給数が少子化を背景に減り、人生のベテラン嬢のお店が増える波は確実に訪れているでしょう。これからの20年、全国6000万人のロリコン(シミパン氏統計)の方々だけで無く、若姫と楽しみたい会員にとっては厳しい時代に突入したといえます。
さて、前振りが長くなりましたが、風船工場長さんからのお声がけで折角の機会を頂きましたので、乱文で申し訳ありませんが創立20周年を記念して寄稿いたします。
テーマは「嬢」か「想い出」のどちらでも構わないと提示されました。ご指示とは違ってしまいますが、勝手に「嬢の想い出」とさせて頂き、日ピン研に入会してから知り合い色々な意味で影響を受けた風俗嬢についてまとめてみました。サーセン!
★先ずは黒歴史の一つです。日ピン研に初投稿した体験レポートのソープ店で知り合った、報告した方とは別の嬢です。
店員に呼ばれて階段で対面したその瞬間に、かわいさとスタイルの良さ、胸の大きさにクラクラしました。形の良い巨乳で色々と挟んでパフパフしてくれ最高の気分で息子も盛り上がり、ゴムを付けて騎乗位からと構えたのですが、何と中折れでプレイが進みませんでした。
彼女は、ゴム外したら良いかもと優しく試してくれましたが復帰は成りませんでした。素晴らしい女性なのに男が発揮できないとは悲しかったです。トラウマにはなりませんでしたが、歳を取って男の機能に衰えを自覚させられた出来事でした。
なお、同じ店のレポを投稿しても面白くないと心の傷に蓋をするために言い訳して、このことをレポートとして書かなかったのはここだけの話です。
ある意味で、中国四千年の歴史に裏打ちされた栄養補助食品「タコキング錠」を手に入れる切っ掛けとなった嬢とも言えます。
★研究ノート「エステサービスのレベルの高さと貨幣感覚 〜肉まんレートによる検証〜」を上梓する切っ掛けとなった大陸系エステ嬢達です。現在、大陸系エステサービス形態のお店は、諸般の事情で掲載されておりませんが、日ピン研の大阪メンバーを中心にその人気が全国に広がっていたのは事実です。
ただ、彼女達の接客は、時短は当たり前で愛想もなく淡々とした作業のような態度が普通でした。そんな中、某梅田S店は突出してサービスレベルが高く、大阪に遠征してくる会員にまず最初に紹介するお店にまでなっていました。
さらにS店の嬢には、タコキング錠の臨床実験にもご協力頂きました。
こうして、風俗産業に関しての似非社会科学の研究ノートは仕上がっていったのです。もちろんプレイに満足して何回も通ったうえに、会社の後輩をも連れて行った想い出のお店と嬢達でありました。
★今から12年以上前、当時はブログが流行り始めた頃で、自分を知ってもらうために書く風俗嬢も多く、その中でも更新がマメで勤めているお店と源氏名を公開している泡姫3名とは、大阪に居た頃に1年近くバーチャルな交流をしました。
吉原の某高級店のナンバー嬢a姫、南町の某中級店のNo.1嬢b姫、曙町の某中級店のベテラン嬢c姫でした。ちなんみにa姫、b姫ともに自称では無く、お店のホームページで確認できていました。
特にa姫は、ソープ嬢の日常を赤裸々に綴っており、高級店の泡姫がどの様にお仕事しているのか知る貴重な出会いでした。先日、らっきょ星人氏がソープ嬢の貸切連れ出しプレイをレポートしていましたが、その様な遊び方があるのを知ったのも当時の彼女のブログからでした。ただ、私がしがないサラリーマンであることを察していた彼女からは、プレイ料金が高いから逢いに来るならよく考えてねと、まず一見では予約が取れないので有名だった(ネット情報)こともあり、高級ソープでの遊び方に指導を受けたのは良い想い出です。
b姫は、No.1嬢だけあってブログの人気も高く、実際にプレイしたお客からの書き込みが羨ましくて、いつかは入りたいと思っていました。でも、結局、出勤のタイミングでの予約は叶わず夢想で終わってしまいました。
c姫は、逢いに行きました。彼女のブログではお仕事のことはほとんど書かれておらず、どちらかと言ったら趣味や日常生活の事が多く書かれていました。あまりソープ嬢とのイメージが無かったので、いつもより照れてしまいました。大阪のお土産を渡して、そんな女性と即即プレイです。蒸しタオルで息子を包むように拭かれた後、パックリと咥えてシャブリあげてくれます。さすがベテラン嬢です。その後、なかなか遊びに行くタイミングが取れず、彼女の退店と合わせてブログの更新も止まったので、それっきりとなりました。風俗嬢とは特に一期一会を大切にしないと後悔すると学んだ出会いでした。
★タコキング錠の副作用による勃起サイズの肥大化を気づかせてくれたのは、小倉の泡姫でした。コンドームのサイズを見間違えた彼女のフォローは、男性に対する心遣いに溢れていました。間違いなくオキニ候補だったのですが、その後直ぐに退店してしまい縁を繋げませんでした。
★大阪の京橋に在ったヘルスで知り合った嬢ですが、彼女とはその後長い付き合いになりました。会社の部下と連れだってフリーで入ったのが最初の出会いでした。その時は、特段容姿に優れたところもないプレイもオーソドックスで次に指名することはない感じで終わっていました。1〜2ヶ月後に他のお店が一杯で結局またここに来てフリーで入ったら、彼女でした。彼女も覚えていて気まずかったのですが、対応は柔らかく気にすること無く遊ぶことができました。その後、数回指名しましたが、お店ではノーハンド素股プレイでした。
そう、あることが切っ掛けで彼女の家に遊びに行くことになり、ねんごろな関係に深まりました。入れ揚げることはありませんでしたが、思い出しても彼女の引っ越しや仕事で使うパソコンのセットアップを手伝ったりとまめに合っていた気がします。出会って1年程後に、私が大阪から東京に異動になった後も、彼女が東京に遊ぶに来るタイミングでラブホテルにしけ込んだのは良い想い出です。
数年後、京橋から日本橋のホテヘルに移籍していた彼女と、2回ほど指名で遊んだのが風俗嬢として会う最後になりました。その後、風俗を卒業して始めた仕事で順調に稼いだのか、彼女が買ったマンションに数回遊びに行き「現地妻だね」と彼女は言っていましたが、大阪に行く機会も作れず、なんとなく疎遠になっています。
★黒歴史その2です。中洲のセクキャバ嬢2人に入れ揚げてしまいました。毎週のように通い指名してドリンク追加やボトルキープ、延長を繰り返しました。さすがに良いお年頃の中年ですので、毎日かよって破綻するほどではありませんでしたが、思い出しても恥ずかしいぐらい散財しました。
大阪時代の会員、福岡時代の会員の皆さんはキャバクラ好きが多くてよく誘われたのですが、若い娘との会話が苦手な私にとって、魅力を感じない業態でした。しかしそんな私が、セクキャバはスケベ心を満たしてくれるボディーランゲージが成り立つのに気がついてしまったのが、黒歴史の始まりでした。
正直、某ツツイ氏や某ヒムラ氏ほど過激ではありませんでしたが、近いくらいのプレイをしていたのも通ってしまった理由です。幸い、彼女達の卒業をもって私の熱も冷めることができました。
★最後は、中洲に居る日ピン研入会以来出会った中で最高のお気に嬢です。レポートしたら直ぐに彼女と分かるくらいおもてなしの心が伝わってくるプレイ内容なので、本当は高い評価で報告するべきでしょうが、結局、書き上げることができませんでした。
いや、これ以上お店が知られて人気が出るのを避けたかったのが本音です。私のレポートだけでそこまで影響が有るわけではないのですが、会員により評価が高いレポートが続くとお店が盛況になるのは、中洲のソープ店の例を見るまでも無く、社会的証明の原理が働くからです。
中洲マンゾクステーションでプレイ料割引券をもらいお店に行き、店員から良い子ですよと薦められて顔も写っていない写真指名で入ったのが最初の出会いでした。店員からヘルスプレイの注意事項を読んで下さと儀式の後、対面したのは当たりでも無く外れでも無い普通の容姿の子でした。でも、彼女の笑顔は素敵で、しかもベッドプレイ中はむしろ見入ってしまうくらい美しくなる女の子でした。挨拶のキッスから即即が始まる彼女のサービスには手抜きがありません。お店のプレイメニューをきちんとこなすだけでなく、キッスにしろ素股にしろ、気持ちよくしてあげたいとの思いが滲みでていて、それがダイレクトに伝わってくるので盛り上がりが違います。その頃は、ナンバー嬢ではなかったのですが、彼女の接客には男がして欲しくされたら嬉しい行動を自然に振る舞える強さがあり、人気が出るだろうなと思いました。
それから、月に2〜3回は、料金設定されている最長時間で指名していたのですが、他の客も同じだったため出勤時の枠が少なくなってしまうのは必然でした。彼女は常に予約が取りにくい、熊本青城なみの話し中のコールを何回も聞きながら予約合戦を強いられるNo.1人気嬢として、不動の地位を確保していました。
彼女の所に通っていたのは私が50代前半の頃でしたが、タコキング錠が無いと勃たない私でも、80分〜100分のプレイ時間中に3回も抜いてくれるのは、後にも先にも彼女だけです。こんな所にも彼女の人気の秘密があるのでしょう。
ここ何年も会っていませんが、当時のお店からは移籍しており、もう若姫とは言えないお年頃にも関わらず、現在のお店でも20代の子達に囲まれながらナンバー嬢としてベテランの貫禄を見せつけているようです。会いたいのですが、なんせいまだに当時と同じく前日予約で直ぐ完売になっている様です。お店のコメントにも予約が取れないと怨嗟の書き込みが多数あります。しかも指名料が当時のお店の3倍になっています。出張族では彼女に会うことは至難の業ですが、彼女が卒業する前に、もう一度逢いたいと心に秘めて風俗貯金しています。
以上、「2005.10.28 黒川洋介氏新加入」してから13年間の嬢との想い出を、とりとめも無く綴りました。還暦を迎えて人生は一回りしましたが、いまだに中洲の嬢を超える子との出会いを求めています。でも、さすがに出逢ったとしても、もうのめり込むことはなさそうです。たぶん。
最後になりましたが、年齢、職業、出身地もバラバラな会員の方々との交流は、人生の潤いになっています。改めてこのサイトを運営しているKEN会長に心から感謝します。ありがとうございます。
この性風俗サイト「日本ピンサロ研究会」の末永い存続と発展、そして心友である会員のみなさまの幸運な風俗ライフを、神カーマに祈念し締めたいと思います。
May Kama be with you.
運営諮問委員長 黒川洋介 (H30.07.25)