by えせ男爵氏
いつもお世話になっております、研究部のえせ男爵です。
今回は5月に開催された函館プチ合同調査のときの調査です。
店舗名:名称不詳
業種:パブ
HP:ありません
費用30分11K
調査時期:2015年5月
今回の函館での現地調査の小生の主目的は、すでに以前、北海道支部長が報告されている「名称不詳」の調査です。
いうまでもなくこの種の歓楽街はかつての遊郭や赤線に起源をもつのですが、現在まで残るものは少なく、「危機遺産」というべき状況にあります。
遊郭・赤線についての先行研究(木村 2007、下川・林 2010)を参照すると、函館にはかつて江戸時代に開かれた「山の上遊郭」があったのですが、明治4年に火災で全焼し、「蓬莱町遊郭」、「台町遊郭」が代わりに設置されたようです。
規模は「蓬莱町遊郭」のほうが大きく、東京・吉原をまねた作りだったようですが、明治40年の大火でこれも全焼したようです。
代わって設置されたのが「函館遊郭」で、特に東京方面からの出稼ぎ私娼が多く、関東大震災後には多くの「ハイカラ」な娼妓が雇われ好評だったようです。
しかし昭和になると不況のために衰退し、往時は500名を数えた娼妓の数も昭和12年には120名ほどに減少し、代わって朝鮮半島から連れてこられた私娼が増加したことが問題となったこともあったようです。
さて今回、すでにデリを発注されて中座された2名をのぞく、計5名の合同調査参加メンバーが、主務の北海道支部長の案内でくだんの場所へ向かいます。向かった先は、かなり場末感漂うところで、つぶれかけのスナック風の建物が数軒あります。幸いいくつかは明かりがついています。
ところが最初に覗いた店には、老齢の女性が一人いたのですが、我々の姿をみとめるやすぐに店の奥に引っ込んで姿を隠してしまいます。あやしげな集団が前触れもなく現れたので、警戒されたのかもしれません。
別な店の前に中年の男性が一人いたので、北海道支部長が話しかけます。当初はこの男性もかなり我々のことを警戒していたようなのですが、とりあえず誤解が解けたようで、店の中に案内してくれます。
男性いわく、今日は全然女の子がいないとのこと。若い姫が一人いるが、いまは外に出ており、あとは30代の姫がいけるかどうか・・・ということなので、まずはその30代の姫が可能かどうか尋ねてみると、おじさんは電話で連絡をとります。しかし残念ながら今日はその姫は都合がつかないとのことでした。
せっかくここまで来て遊ばないわけにもいかないので、いま外に出ている若い姫を呼んでもらうことにしました。結局、今日はその姫しかいないとのことなので、小生がその姫と遊ぶ権利を頂くこととなりました。
なお通常だと姫と一緒に近くのホテルに行って遊ぶという流れとのことですが、姫の予定が空くのが1時間後とのことなので、直接、小生の宿泊するホテルに来てもらうということになりました。
しばらく時間をつぶしたあと、時間になったのでホテルに戻るころに姫もホテルに到着したので、部屋に招き入れます。たしかに若い姫でした。そしてどうやら北海道支部長のときと同じ姫のようです。
遊びの時間は30分とのことなので、手短にシャワーを浴び、すぐにベッドにもぐりこみます。姫からリップによるご奉仕を受け、準備が整ったところで、身だしなみを整え、身体をかさねます。 >p> ここまでは割と淡々と進行していたのですが、実はここからドラマがありました。愛し合いながら姫の敏感な部分を刺激すると、みるみる大きくなっていきます。小生も初めて見るほどの○○の勃起でした。そこを愛撫すると姫も豹変し、身をよじるように感じ始め、あまつさえ自分で秘部を押し開いて刺激を求めてきます。
あわせて姫の秘部も生き物のように収縮し、愚息を締め付けて離そうとしません。ほとんど小生の方から動かずとも、姫の秘部が自動で動いてくれるので、その感触を時間いっぱいまで楽しみました。結局フィニッシュに至ったのは終了5分前で、最後のシャワーの間もなく、あわただしく姫とのお別れとなりました。
というわけで、今回なんと北海道支部長と兄弟となってしまったのでした。
ただ、この種の業種の現状はなかなか厳しいといわざるを得ません。出勤姫は少なく、また客の数も限られていることに加え、当局からの締め付けや開発の波など、状況は年々厳しくなっているとのことでした。ただ、こうした昔ながらの遊びが衰退し、地域ならではの風情を味わえる場所が少なくなっていくのは残念なことです。
長文・乱筆のほど失礼いたしました。
参考文献
木村聡(2007)『赤線跡を歩く(完結編)』自由国民社。
下川耿史・林宏樹(2010)『遊郭をみる』筑摩書房。
研究部 風俗心理科学研究室長 えせ男爵 (H27.07.05)