by 風船工場長氏
日ピン研をご覧の皆様、こんにちは。
いつも大変お世話になっております。総務部の風船工場長でございます。
盛岡。前回、勝太郎さんと共に、警鐘を鳴らしたのですが、外国人と謳わないアコギなデリヘルがまだあります。それも多数!と、言いながらも、当該店舗(既レポ日本人デリ)を発注。相変わらず本題に行くまで長いですし、今回は本題後も長いのでお時間のある方のみ、ご覧下さい。サーセン。
第161回レポ
場所:盛岡
店名:マドンナ
業種:デリヘル
HP:http://www.madonna-iwate.com/morioka/
費用:50分10K(1K出張費含)
時期:平成26年卯月とある週末夜
判定(5点満点)
店舗:省略(デリヘルのため)
店員:3(フツー)
お嬢:4(元モー娘。中澤○子さん似)
技術:1(手コキ多用他、減点複数)
CP:4(安いっス)
満足度:2(虚しさ感あり)
タイトル:酷い
(プロローグ)
盛岡合同(釜石視察含)にお声を掛けて下さいましたので、参加させていただくこととなりました。当日、上野駅でお茶をしてたら発車時間3分前!で、慌ててホームに向かいました。ホームに着く前に、発車ベルが鳴り始め、はやて111号に飛び乗ったのでした。
(盛岡到着〜)
ご先着のはなぢさんが、待ってて下さいました。旧交をあたためていたら、程なく皆さんが集合。その後、今回の目的の一つである、釜石市を勝太郎さんの運転で目指しました。東北地方は、東西の移動が不便なので休憩も含んでいますが、盛岡から釜石市まで片道約2.5時間でした。
(再び盛岡)
宿にチェックインし、夜のデリヘル予約後、乾杯(懇親会)となりました。二次会のキャバクラで、はなぢさんがキャバ嬢に私の本職を「詐欺師」と言われ、そのウソに乗っかったら、キャバ嬢に通報されるかと思いました(笑)。
(嬢、到着)
予約開始15分前に部屋に戻り、一服後マナーとして、シャワーと思った10分前にピンポンです。
ドアを開けると中○姉さんに、ホッとしましたが、良かったのは、この瞬間だけでした。希望時間の70分を伝えると、お釣りの準備も、お店に連絡する気持ちもない「キリの良い数字」を言われ、半強制的に50分を選択させられました。
(はじまり?)
この中○姉さんの携帯が、やたらと鳴りやがります。数えていた訳ではないのですが、入室から5分で5回は鳴っています。旦那さんからのラインとのことで、デリヘル仕事がバレないために、即レスがマストと言ってます。仕方なく了解すると、やたらと長文を打っています。私は、もう地雷を踏んでいる!洗体が丁寧だと思ったら、臭気を発する部分(脇、股間、アナルん、足の指の股)が、やたらと入念なだけでした。
(鉄壁)
おっぱじめました。私のようなオヤジに抱かれることに対する、必死のディフェンスは大したものでした。チューは、唇を一切開けてくれませんし、胸もやたら手でガード、やむなく下半身に移動。前の穴もギューっという感じで、中々指が入りません。決して強引に行った訳ではないのですが、隙をついてようやく一本。
(手コキ)
素股風ローション手コキに移りました。少し経った後に6×9を所望したら、再度ローション投入。見えないことをイィことに、ほとんど愚息を口に含んでおられません。ローション手コキの前に、抵抗する術を持たない愚息はあえなく発射。
(エピローグ)
我ながら情けなく、虚しい気持ちになりました。出来るだけ愚息を口に含めないのは、STDリスクの回避が理由として考えられますが、そうであるならば、別の仕事をオススメします。
主務のアーロンさん、お世話になりました。
勝太郎さんには、盛岡ー釜石間往復5時間を運転していただき、誠にありがとうございました。そして、ご参加の皆さん、お疲れ様でした。またどこかで再会&乾杯しましょう。
下記は、今回視察の内容ならびにアーロンさんのご説明と、ネットから補完でございます。少し相違点があるかも知れません。
(釜石市)
震災前、私の釜石市のイメージは、新日鉄の町。著名なラグビーチームがあったことをご存知の方も多数いらっしゃることと存じます。最近は、人口減少の加速が進んでるようです。
(釜石市2)
駅近くで食したランチ(刺身定食)は、とても美味でした!満腹となり、隣接する大槌町を見学することとなりました。山田線の線路があったであろう場所は、レールもなく津波の破壊力の凄まじさが、容易に想像出来ました。
(釜石市3)
鵜住居(うのすまい)地区では防災センターという建物があり、津波の避難場所ではないのですが、集まってしまった200人超の方々が、お亡くなりになったそうです。これは、防災センターを津波の避難訓練として繰返し使っていたことで、住民が誤った認識を持ってしまったことが、大きな要因だと言われています。
(大槌町)
恥ずかしながら、震災前はその名前を聞いたことが殆どありませんでした。震災での死者、行方不明者数を浸水範囲の人口で除した率(犠牲者率)が、宮城県の女川町に次ぐ10.7%という数字に表れています。東北三県(岩手、宮城、福島)の犠牲者率が、約3.5%なことを考慮するとその数字が、ご理解いただけることと存じます(あくまで、浸水範囲100人に対する率です)。
(大槌町2)
旧町役場では、対策本部を設置すべく動いてる時に、津波に襲われ町長さんをはじめ多くの方が、お亡くなりになっています。特に管理職以上が、全員だったため被害報告が滞ったそうです。因みに、現在は新庁舎があります。
(大槌町3)
大槌町の方々の多くが、津波は「引き潮」から始まるものだと思っていたようで、避難の遅れや一旦家に戻り、犠牲になった方が多くなってしまった要因の一つと分析されています。また、その地形のため三方向から津波に襲われ、約1,600人がお亡くなりになっています。また、震災の影響で2008〜2012年(震災は2011年)の死亡率が、全国でトップ(全国平均の約2倍)となってしまいました。
まだまだ、記載したいことがございますが、今回はこのあたりで筆をおかせていただきたいと存じます。
長文、駄文にも関わらず、最後まで、ご覧下さいまして誠にありがとうございました。
総務部長 風船工場長 (H26.04.29)