by 立川紫煙氏
今日は立川紫煙です。
帰郷がついでの風俗行脚5(久留米戦役4/4)
不完全燃焼のままデリでの一戦を終えホテルを出た。日はまだ高く時間も充分にある。勿論もう一回戦できるようにとの理由で飛行機は最終便を取っていたのだが、性欲も精力もこの連戦でほぼ尽きていた。当初の計画では中洲に行く予定だったのだが、最早気が乗らない。因みに久留米から天神までは西鉄線を利用すれば40分弱で行ける。
しかしこの気持ちは何であろう。旅行に来たら風俗に行かねばならない、そんな強迫観念めいたものを感じてしまう。京都に行ったら金閣寺を見とかなきゃ、といったような感覚に近い。
このような時、特に中洲の場合、思い出されるのが過去の成功(性交)体験である。一年半前に相対した中洲ソープ嬢(当時19歳)の幻影が微笑みかけては消えを繰り返す。彼女は、長くは無いものの非常に濃い私の風俗経験の中で、最高のビジュアルを誇っている。
「どんげしよう」数日間の九州滞在ですっかり方言が復活した私は、持ち前の優柔不断ぶりを発揮し躊躇逡巡を繰り返した。帰る、中洲、どうする。行方の定まらぬまま名残を止めるように市内を彷徨する。三本松公園で一服し、竜宮城という怪しいピンサロ(?。Sin氏のために調査は控えました)を見遣り、久留米ラーメンを食し、宛て所なくフラフラと。
するとある旅籠が目に付いた。I旅館。奇しくも上記中州ソープ嬢(当時19歳、貧乳で華奢)と名を同じくする旅館である。宛て所ない彷徨のはずが、しっかりと旅籠方面に足を向けていた。
店舗 I旅館
業態 ちょんの間
所在 福岡県久留米市西町
費用 8K/20m 〜
日時 九月上旬 19時過ぎ
場所は西鉄花畑駅近く。タウンページに載っています。住宅街の細い道を進みアパートの正面にある。民家そのものの建物で当然四方も民家である。玄関に入るとブザーが鳴りおばちゃんが出てきた。
立川「若い娘いる?」
おば「いるよ」
立川「幾つ位?」
おば「23、4かな」
恐らく数え切れないほど繰り返してきたであろうこのやりとりに、おばちゃんは疲れ気味な様子で覇気無く答えた。
部屋に通され8千円を支払うと、おばちゃんは徐にTVを付けた。始まったのはAV(裏)である。まさかあんたがお相手?と不安がよぎった所で、ちょっと待って下さいねとおばちゃんは下がっていった。
一分と経たずノックの音。再びおばちゃんがお茶を持って入ってくる。凍りつく私、あなた50代ですよね…。結果的にはお茶とお釣りを置いておばちゃんは無事下がっていったのだが、どうにも冷や冷やさせるおばちゃんであった。去り際に
立川「Gは?」
おば「要るなら用意しますけど」
どうやら野暮なことを聞いたようだ。おばちゃんの怪訝そうな顔が物語っている。
やってきた嬢は確かに23、4歳。このような形態の風俗においては嬢質を問うものではないというのが暗黙のルールとなっている中、ビジュアル的にはB−の評価を付し得るものであった。
嬢は私の顔を暫く注視し「来たことあるよね」と標準語で言った。初対面であることは明白である。しかし彼女の標準語と過去数百人と相交わってきた私の経験が、本当にどこかで会ったかもと思わせるから不思議である。
セルフ脱衣後非常に狭いシャワー(トイレ併設)室で局部のみ洗われてベッドに。ここはちょんの間には珍しくシャワーがついている。
プレイの流れはC舐め→T舐め手古希→NF→久留米的生麺→放流(少量)。
対面して5分も経たない内に両者は互いの性器を露にし情を交わさんとする。この流れ、他の一切を排除し只管に挿○に徹することこそがちょんの間の醍醐味であると私は考える。複雑に商業化した日本の風俗の中で、原始的な形態であればこそ、新鮮ささえ感じる体験となった。こちらからは手も触れず、只欲望の発露と沈静のみがそこにはあり、膣の貸与ともいうべき疎外感が何ともいえない背徳感と刹那さを齎す。
以上退廃の淀みから、立川紫煙でした。
(H20.10.01)