by たいらの漬盛氏
こん○○は!漬盛です。
会長、並びに会員の皆々様、15周年おめでとうございます。
と言うことで、暑さも日増しに強くなってきたある日、風船工場長総務部長から一通のメールが届きました。今回のご祝稿に関する寄稿用命でありました。
わたくしのレポ掲載debutが、22年4月。会員末席に加えて頂くことになったのが、それから約1年半後の23年9月と言うことで、ここまで日ピンを盛り上げてこられた諸先輩方に比べると、まだまだ新参者と言うことで、日ピンを語るなど甚だ厚かましい限りではございますが、総務部長たってのご用命と言うことで、僭越ながら一筆綴らせて頂きます。
わたくしと日ピン研との出会いは、とある風俗店の情報をネットで漁っていた時でした。黒地に白文字で書き綴られた、明らかに怪しい雰囲気のレビューと思わしき1枚のページが検索に引っかかったのです。 読んでみると、単なる風俗店の紹介サイトのものでなく、どこか客側目線の生の声風に書かれた情報であり、これは同様な情報がまだまだあるのではと非常に興味が沸きました。もっと情報を掘り下げたいとの思いから、トップページと書かれたリンクからジャンプしてみると、躍り出たところには所狭しと並ぶバナーが・・・。閲覧していたのが職場でもあったことありますし、少々苦手であるギンギラギンのド派手バナーに圧倒され、その時は慌ててページを閉じました。ただ、その様相から、やはり客寄せ目的の普通の風俗サイトかと思い、しばらくはそれ以上の探索はせずにいたのです。
しかし、その後も幾度と無く検索でピックアップされる店舗レビューの単品ページ。中には際下段に複数の者が書いたと思わしきリンクがあるページがあるものも見つかり、これは集団的なマニアサイトなのか?など、当時は何も知らないので、その得体の知れなさに怖気づきそうになりましたが、やはりその生の声的な情報は、非常に信頼性の高いもののように感じ、このまま捨ててはおけぬなと、改めてサイト内をくまなく解析してみることにしました。すると、なんとなんと、そのエリアが全国に及ぶことを、この時始めて知りました。それからしばらくは、何かに取り憑かれたように、過去に遡って随分読み漁ったものです。
個人的に、風俗遊びと言うものは本来一人でこっそりと行くと言うような、そんなイメージを持ってましたし、実際のところその通りでした。しかし、一連のレポを読んでいると、所謂会員さん達の合同調査風な集まりなど、他人にもおっぴろげな風俗遊びや、会員同士の横の繋がりの楽しそうなことに徐々に興味も沸きつつありました。
そんな頃、偶然と言うべきでしょうか、わたくしのレポに頻繁に登場する「風友A」と、訳あって頻繁に行動を共にするようになったのです。そして満更嫌いでもないだろうと予想していた風友Aにカミングアウトと言う訳ではないですが、徐々にこちらの世界に引きずり込んだと言うか、一緒に風遊するようになったのです。彼はわたしと出会わなかったら、この世界に足を踏み入れてはなかったかも知れません。そう意味ではある程度責任も感じてる訳ですが。。。
でも、やはり一人も気楽で良いのですが、知り合いとあーだこーだと言いながら遊ぶのも悪くないんじゃないかと、この時ようやく思いました。そして、初めて風友Aと一緒に行ったお店のレポを、この際だからと日ピン研に投稿したのが「たいらの漬盛」の始まりとなります。
この後も、以前より風俗遊びをしているのを知っていた風友Bも巻き込んで、風友Aと3人で事あるごとに風遊することになっていきます。
もちろん風遊をする度にレポートを提出することになっていくのですが、やはりレポする限りは、同じお店ではつまらない。そう思って色んなお店に行くことになって行きます。これが日ピン研に参加して一番大きな変化だと言えます。
普通はと言うと語弊がありますが、個人的には気に入った数店舗のお店をサイクル的に利用するのが、安全で満足指数の高い状態を維持できると思ってましたが、それではレポは書けないので、レポを書くために色んなお店に行くようになったと言っても過言ではありません。これが不発率上昇の一番の原因なのですが、不発や地雷もネタ的には有効ですし、ある意味、そんな苦い体験も含めての風俗遊びだと言う様に遊び方の認識も変わりました。
そうこうしている内に一年半が経ち、風友たちにも「そんなけレポあげてるんやし、いっそのこと日ピンに入ったら?」と言われ、本来、人の集まりが苦手なこともあって「入会依頼でもあれば考えるわ」などと冗談半分に答えたりしていたのですが、そんな矢先、会長より入会のお誘いメールを頂いたのです。
冗談で言ってたことが現実の話になりビックリだった訳ですが、いざ、本当に入会となると、実は結構悩みました。何より人付き合いが苦手なのです。でも、これはきっと何かの縁だと思い、思い切ってお誘いをお受けすることにしました。晴れて日ピン研の末席に加えて頂くことになったのです。
それ以降は、逐一レポに書かせて頂いてる通りの活動になり、現在に至ることとなりますが、入会して思うことは、まだお会いしていない人も沢山いるものの、入会前に危惧していたことは、ほとんど心配無用でした。想像していたより本当に気楽な集まりです。内容の濃い風俗情報は言わずとも満載ですが、そんな風俗関連のことばかりでもなく、年齢もバラバラ、仕事も多種多様に渡り、当然色んな人達が居ますので、だからこそ、色んな話が聞けますし、色んな考え方なども知ります。そんな自分と違った考えを持ってる人達から何かを得る事も多いです。ちょっとした集まりがあれば呼んで頂き、また新たな人に出会えたりと、そんな色々な人達と知り合えることが、今では良かったと思え、人に対する苦手意識も若干和らいだのが収穫だと思っております。
そして何より、行動範囲が広がったのが自分にとって有益なことだったと感じております。仕事での出張もほとんどなく、かと言って一人旅などする人間でもないので、なかなか大阪から出るようなことも無いに等しかったのですが、今ではある意味、日本中に知り合いが居ると言っても良い状況です。合同などを通じて知り合った人達の住む場所へ行ってみようと思うようになりました。いざと言う時は名前だけしか存じ上げないとしても、当会会員を頼ることも出来ると思っています。
一人で見知らぬ場所へ赴くなどとは、それまで考えもしなかったのですが、今では行ってみても良いかな?程度には思うまでになったのです。いや、行ってみたいなと考えるようにさえなりました。こうして自分自身が外に目が向くようになったのが一番の変化であり、一番の収益だったと思います。
初老に片足突っ込んだ自身の年齢的にも、この先どこまで一緒にお付き合い出来るだろうかと、最近考えることもありますが、まだしばらくは、お仲間でいさせて頂きたいと思っております。
最後になりましたが、会長を始め、会員の皆様、これからも楽しく日ピン研を盛り上げて行きましょう。微力ではありますが、お力添えさせて頂ければ幸いです。
それでは皆様、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
西日本本部長補佐 たいらの漬盛 (H25.09.06)