by たいらの漬盛氏
こん○○は!漬盛です。
まずは、会長、並びに会員の皆々様、日本ピンサロ研究会創立25周年おめでとうございます。
四半世紀と言う、長きにわたるご活動を祝福させて頂きます。わたくしの在籍も約12年となり、凡そ半分の月日を会の皆さまと過ごさせて頂きました。関わり合った皆さまには改めてお礼申し上げます。
さて、過去15周年、20周年とご祝稿を綴らせて頂きましたが、今回の25周年に際しましても有難いことにご拝命頂く運びとなり、僭越ながら三度、寄稿させて頂きたく思います。
なお、今回もご祝稿に際し「振り返りとこれからの活動」と言うテーマを伺っておりますので、それに準えて書かせて頂きます。
まずは「振り返り」となりますが、わたくしの初投稿が、入会から遡ること、約1年半ほど前の非会員時代となりますが、当初、入会するつもりは微塵もありませんでした。
それ以前は、当会に投稿されるレポを読み、それに感化され自身も風俗遊びに励むと言うことを繰り返していた訳ですが、ある時、自分も体験したことを文章にしてみようと思い立ち、投稿してみたことが「たいらの漬盛」の始まりとなります。
因みにハンネの由来は、投稿するにあたりネームを考えていた際に、居酒屋で「漬盛」と書かれたポップを見たときに、一瞬頭に浮かんだワードが「平清盛」だっただけです。字が似てるだけなんですが、これをもじっとけばええかなと、短絡的なネーミングですね。一般的に居酒屋メニューでは「漬物盛合わせ」と、ちゃんと書くところが多いと思うので、「漬盛」と言う略語がピンと来ず、解読に頭を使ったことがきっかけですかね。
その後、投稿を始めると、送った記事が掲載されることが楽しくなり、無駄に調査頻度が増えたと記憶してますが、ある時、風友から「そんだけ(レポ)送ってるなら入会すれば?」と問われたことがあり、その時も入会する気は全く芽生えてもなく『お誘いでもあれば考えるわ』と茶化しておりました。
ところが後日、本当にKEN会長よりお誘いのメールが届き、まさかの出来事にとても困惑しました。どうしようかと散々悩みましたが、最終的にはお誘いを受けることに決めさせて頂きました。後押ししたのは『お誘いでもあれば・・・』の自身の発言、その言葉への有言実行となりますでしょうか。
入会すると非会員時のバーチャルだった活動がリアルに移行しました。入会早々にKEN会長との実写面談、三ヶ月後の京都合同調査への参加など、徐々に既会員の皆さまとの交流が増えていきました。そもそも入会を躊躇ったのが人付き合いが嫌いなことが要因なので、その後は緊張の連続になりましたが、お会いする方々には快く迎え入れて頂き、なんとか馴染めることが出来たと思います。今となっては日本中に沢山の友人が出来たと言う素晴らしい出来事だったと思っております。
次に「これからの活動」ですが、ご存知の通り、数年前から不発が多くなり、本年に至っては、ほぼ100%不発と言う難儀な状態となってます。こんな状態で今後を語れる気がしませんが、願望と展望を交えて書かせて頂きます。
気持ちはまだまだ若いものの、体はますます老いていくのが判ります。ただ、同世代の方々をみると、まだまだ元気一杯で、自身の減衰に滅入ります。しかし、原因は体の衰えだけではなく、メンタル的な影響も大きいのではと考えております。
元々低調だった業績から、追い討ちのようなコロナ渦を経て、何かと気苦労、気疲れなど諸々のストレス要因が、コロナ収束後もほとんど解決に至っておらず、長期に渡りストレスコーピング出来ずにいることが原因なのではと。。。それらが好転してくれば復活もあるはずと希望は捨てておりません。
また、当会での活動としては、調査より飲みの方に比重が偏ってくるかと思ってますが、従来通り、合同調査や大阪支部定例会など、皆さんとの親睦を深める機会を大切にして行きたいと思っております。
個人的には入会した頃に考えていた「47都道府県で調査する」も、地道に達成を目指したいとは思ってますので、不発であろうと、まだまだ機会があれば調査を慣行していきたいと思います。
以上、最後になりましたが、日ピン研のますますのご発展をお祈り申し上げると共に、皆様の一層のご活動をご期待申し上げます。
それでは皆様、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
日本ピンサロ研究会 副会長 たいらの漬盛 (R05.12.15)