〜©日本ピンサロ研究会〜

各国の風俗とその国民性 -PART1-

by T.T氏


1.はじめに

 海外の風俗、特に開発途上国における風俗嬢は、ほとんど家族の生活のために働いているか、または売られてきている娘が多い。そのためか彼女たちには、どことなく暗い印象を感じるのは私だけであろうか。また、その先入観(売られてきている)からくるイメージが、私をそのように思い込ませているのであろうか。
 過去の日本にも、東北等の田舎から都会の置屋に売られてきた歴史がある。田舎の貧しい生活が思い浮かばれ、なんとなく暗いイメージがそれとオーバーラップする。

 今でもアジアの途上国、特にフィリピン、インドネシアにおいて、風俗嬢の視線が気になる。特にフィリピンで、カウンターの上で棒をつかんで踊る風俗店に行くと、踊っている女の子(12歳〜18歳位)の視線が皆鋭い。これは、「私を指名してください」と、視線での哀願である。
 彼女達はカウンターからの踊りによるパフォーマンスとともに、鋭い視線により、客の指名を奪い取ろうとしている。女の娘達全員がその様な視線を、客達に投げかけているため、最初はとても違和感を覚えた記憶がある。

 以前米国で同じようなトップレスバー(女の子がカウンター上でトップレスになって踊り、お客がチップとしてパンテーにお札をはさむ)に行ったことがあるが、それとは、まったく違う。
 最初、米国でそれを見た時はとても感激した。お札をはさむタイミング、はさみ方、金額、女の子への応援の仕方など、お客も女の子に気に入られようと努力したものだ。
 連れ出しOKかどうかは分からなかったが、それでも米国風の風俗に感激したものだ。

 国が違えば、このように違うのか。金持ち国と貧乏国との違いなのか、それとも国民性の違いなのかを検証すべく、今までの経験を通して、「風俗と国民性」について考えてみることにする。

2.はじめての風俗経験を通しての風俗観の芽生え

 高校2年の時、先輩(3年生)にストリップを見に連れて行かれた。そこは、地方(人口13万人)都市の唯一のストリップ劇場である。便所の臭いが客席にも臭ってくる劇場で、お世辞にも綺麗と言えない劇場であった。(今はない)
 踊り子は、現在では考えられないおばさん(当時、母親以上の歳に見えた)で、最初は顔を伏せてしまった。この時の私の気持ちは、おばさん(年寄り)が出てきたから顔を伏せたのではなく、どうしておばさんがこんな商売をしているのか。自分の母親位の人が、何故こんなことをしているのだと言う、嫌悪感を覚えたのである。

 それにも関わらず先輩は、一番前が空いたからと言って一番前に座り、良く見て行くのだと言ったが、あまり気が乗らなかった私は、一番前の席にもかかわらず、一人浮いていた。
 劇場を出て、劇場内での私の態度をみて先輩は言った。
「踊り子さんが一生懸命踊っているのに、お前の態度は何だ。ストリップ劇場は、女の子の踊り、裸、お○○こを見て楽しむ所だ。客が嫌な顔をしていたら、一生懸命仕事をしている人(おばさん)に失礼だ。そんな奴は来る資格はない」
と言うような事を言われた。
 その時は、先輩の言ったことの意味は良く分からなく、「おばさんはあんな事をしたらいけない」としか思わなかった私は、今では恥ずかしく思うくらい純情であったのであろうか。
 しかし、結果的には、幸か不幸か、その言葉がそれからの私の風俗に対する、力強い探求心に結びついている原動力になっていることも否定できない。
 また、現在そんな立派な事を言える高校生はいるのであろうか。その先輩は、現在破綻した銀行から某銀行に行き、そこで真面目に働いていると聞いている。
 それに予断ではあるが、通っていた高校にその後、劇場内で一番お○○この良く見える場所の号外が、何物かによって書かれ、話題になった事を特筆したい。
 このような高校に、プロジェクトHを歌う、大島みゆきと、ドリームゴーフォースがいたとは、信じ難いことだ。

3.アジアの風俗

(1)ベトナム編
 −その1−
 ベトナム戦争でおなじみのベトナムは、北(ハノイ)と南(ホーチミン(昔はサイゴンと言われていた))に大きく分かれる。昔のフランスの哀愁を漂わせるホーチミンは、風俗にかけては先進国の仲間入りをしている。
 ホンダlady(女2人乗でバイクで町中を徘徊)は路上で、これはと言う外国人(日本人が多い)を見つけては、周りの人にはためらいも無く、強引にバイクに乗せてホテルに連れて行く、とても大胆な方法でお客を取っている。とても商売の粗い大胆なバイクコールガールsである。
 もう少し、現実に近い言い方をすると、渋谷のど真ん中に、日本人の女が2人乗りでホンダのカブに乗り、日本人がいっぱい歩いている中で、外国人を見つけては、強引にバイクに乗せてホテルに連れて行くと言うものである。
 まったく信じられない光景であり、私の経験上こんな大胆な行動は他にはないのではないかと思うし、社会主義の国家がこんなことをして良いのかと疑いたくなるような光景である。
 その時、私たちは3人で歩いていて、1人がホンダガールsに連れて行かれた。案の定、帰ってきた時は、お金を全部やられた。一人と行為をしている時にもう一人が、財布からお金を抜くという単純なやり方に引っかかったのである。この時、私ともう一人は、長年の経験上、海外でのダブル(2人相手)は危険(金を抜かれる)と言ったにもかかわらず、どスケベの一人がバイクに乗っていてしまった。しかし、ここで特記したいのは、金は取られても命は取らないと思ったから、どスケベくんをバイクで見送ったのである。どスケベくん自身も、金を取られたけれども、後悔はまったくしていなかったことをこの場で言い付け加えたい。

 −その2−
 ホーチミンで一番手っ取り早いのは、シクロ(自転車タクシー)に言って、その手の所を紹介してもらうことだ。私たちの入ったところは、闇で営業を行っているところで、看板はなく、シクロの兄さんに連れて行かれなくては、絶対に分からないところであった。

 店で酒を飲んで、気に入った女の子がいれば、連れ込みOKのホテルに一緒に行くのである。サービスは皆平均以上であり、ホーチミンの女には合格点を付けたい。ただここで注意することは、悪いシクロ兄さんがいることだ。

 ホテルの後の帰り、夜中の1時にコーヒーを飲むためホテルに入り、飲んで戻ったら、シクロの兄ちゃんが「夜遅いので、シクロ(自転車)を警察に持っていかれた」と言い出し、取り返すので金が要ると、ほざいたのだ。その時、応援のシクロ一派が寄ってきて、殴り合いの喧嘩になりそうになった。その後はどうなったかは想像にまかせるが、この場合たいていの人は金を払い、問題解決をしますが、どっちにしても、気持ち的には大変不愉快な思いがします。歌舞伎町でボッタクリに会った時と同じ心境になり、歌舞伎町には二度と来ないぞと思うのは私だけでしょうか。
 それと同じく、その国が嫌になります。しかし、良く考えると、上手く引っかかった人があまいのであって、引っ掛けた人はそれが商売なのです。日本では、泥棒は悪いと皆さんが思っていますが、場所が変わると、泥棒さんはチャンとした商売なのです。その点をしっかり頭に入れないと、各国での本当の善悪の判断が出来ません。

 −考察−
 ホーチミンは、年中真夏のためか、元フランス領であるのかは定かではないが、大変風俗関係に関しては、進んでいると考えられる。やはり、暑い国(地方)は性に対して開放的なのか。
 北(ハノイ)と比べて超開放的であるし、それに比例して女の娘のサービスも良い。ベトナムの国民は、個人的にあまり好きではないが、南の風俗嬢に関してだけは、合格点をあげたい。また予断ではあるが、この国民は、金のあるものから金を取ることは決して悪く思っていない。
 実際に国の政策として、ホテル代、飛行機代、汽車賃等は、ベトナム人と外人との二重料金制度になっている。このような政策のため、全国民の外国人に対する金銭感覚がおかしくなっていることは、否定できない。しかし、最近はその制度を改めようとしてはいるが、現実にはまだ履行できていない状況である。