〜©日本ピンサロ研究会〜

研究ノート「私がクチアケで遊ぶワケ」

by るねぱぱ氏


 私はクチアケのコを好んで遊ぶ。最大の理由はその女性に前のお客の匂いを感じるのが嫌だからだ。匂いといってもそれは体臭ではない。お客に抱かれる事で心の襞の滲み付いてしまった陰とでも言うのだろうか。

 私は風俗と呼ばれる遊びの中では本番系を好む。しかもソープよりのもちょんの間や連れ出しスナック、立ちんぼといった非合法な売春をしている女性が好きだ。そういう遊びでは客引きやぽん引きが、
「このコ、クチアケだから」
 と勧めてくる事が非常に多い。遣り手婆に至っては、
「このコ、処女やから」  と、実に巧い言い方をしてくる。もちろんここで言う「処女」はクチアケを意味している。クチアケとは説明するまでもなく、その日はまだお客が付いていない状態を指す。したがってその日はまだ誰の臭も付いていない。私はもっぱらそういう女性を抱く。もっとも本物の処女は嫌いだ。処女は一度抱いて懲りてしまった。これは実際に処女を抱いた事のある男性ならわかってくれるはずだ。

 万一クチアケでない女性と遊んでしまうと、数十分前に他の客と触れ合っていたのを想像してしまい、唇を吸ったり舌を絡める際にその中にある粘膜にお客の匂い、名残りを感じ、興醒めしてしまうのだ。セックスする場合はその傾向がより強くなってしまう。私は相手さえ許してくれば生でセックスする。膣壁は毛細血管が張り巡る粘膜で形成されており、その表面は体液で覆われている。生での性行為は膣の肉襞とペニスの肉襞の触れ合う事、粘膜と粘膜が擦れ合う事だと思っている。粘膜は非常に脆く、もしその女性が私の前に他のお客に抱かれていれば、そのお客によって粘膜が傷つけられてしまっているはずだ。生で性行為をしていればその粘膜には精液が付着する。水で洗浄したくらいでは付着した精液を粘膜からはがし落とす事はできない。そんな傷跡が残った粘膜に私の粘膜を擦り合わせる事は非常に切なく、悲しい。
 時折お客に抱かれた事で、妙な倦怠感を抱いている女性がいる。彼女らも商売だから極力表情には出さないようにしているが、それでも不意に前の客の臭を発してしまうものだ。そんな時、私はともすれば喪失感におおわれ、その結果萎えてしまうのだ。

 私は稀ではあるがヘルスやピンサロにも遊びに行く。その場合もやはりクチアケのコと遊ぶ。ヘルスやピンサロ等の非本番風俗はフェラチオから口内発射へとプレイを移行していく。この場合、男性が発射したザーメンは口内に貯えられる。口内も粘膜で覆われており、うがいしても粘膜に付着した精液はそうやすやすと剥がれ落ちないものだ。特に舌には味蕾があり、精液の付着は激しい。そんな状態の唇や舌を使われてキスされたりフェラチオされたりするのはやりきれない。

 風俗の仕事をしている女性は自分の彼女でもなければ妻でもない。お金さえ出せば誰でも抱けるから、ある意味、風俗嬢というのはお客の共有物と言えるかもしれない。そんな女性に対して私のような考え方はかなり異常に映るかもしれない。しかし風俗嬢と呼ばれる女性に対して、一瞬でも恋愛に似た感情を抱きたいという私にとって、やはりクチアケという遊び方が1番好ましいようだ。

 会長付属調査隊 東部方面調査隊長 るねぱぱ (H18.11.15)

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