この文で私が提唱する”ぼったくりの定義”とは竹の子剥ぎに代表される金銭的な物だけでなく、サービス、容姿その他諸々の要素を統括した上での定義である事を記載しておく。
筆舌にし難い修練を積み重ねたその道の達人ともなると、皮膚感覚でボッタクリ店を回避する事が容易に出来るのだが、私もそこまでのテリトリーには到達しておらず、残念ながらその領域は遥か彼方のようである。
外国では車の運転講習にて周囲に何も無い所で、実際にタイヤをロックさせ、スリップの危険性を肌で感じるさせるのだが、日本ではそのような講習が無い為、実際に公道でタイヤがロック(スリップ)してから慌てて対応する事になるのだが、初めての経験故にそうそう冷静に対処できるとは到底思えない感がある。
最近はABS搭載車が増えてきたが、それにしても実際起動させるのは事故に遭遇しそうになった時といったケースが大半なのである。その辺は日本の教習所でも今後教えていく必要があるだろう。
だいぶ話しが脇道にそれたが、車の運転における危険回避の感性は、風俗においてのそれと符号する点も多々あるのは事実なのである。危険回避とは感覚的な物だけに、文章で表現し難い部分もあるのは確かなのだが、今後我々がスキルを重ね、洗練された感性を研ぎ澄ましていく必要性がある事は言うまでも無いだろう。
ただボッタクリに遭遇したとしても、私はそれほど悲観する必要性は無いと感じている。何故ならその経験が今後の風俗人生の、血となり肉となれば、それは決して高い代価とは言い切れないからである。