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研究ノート「都市環境と風俗店とのバランス編」

by reel氏


 どうもreelです。今回は、研究ノートとしまして、都市環境について簡単に考察したいと思います。

 Note_#003(Division-C )

 はじめに
 都市環境の良否は経済的な尺度よりも、もっと単純に視覚的な尺度によるものだと最近強く感じております。そして、風俗のある都市環境を、視覚的な尺度で簡単に考察してみたいと思いました。

1.風俗浄化と都市環境の変化について
2.視覚的な都市環境の良否について
3.風俗街を歩く楽しさについて

 1について
 風俗店に代表される、都市環境の政治的運用における排除対象とは、要するに環境のためなのか、美観のためなのか?またそのどちらでもなく、別の食わせ餌なのか?
 個人的には都市環境の運用自体には全く関心はなく、その働きかけの中からいかに風俗店が理想的な進化を遂げるかということに関心があります。とは言うものの、最近では明らかに質の異なる変化を越谷と西川口に見る事ができました。
 要するに、この場合の多くの視覚的変化は外部からの働きかけによるもので、崩れた所から現状を見渡せば残った都市環境のむき出しの部分が痛々しくまた、何か別の違和感や感慨をもって訪れる者を困惑させるという状況です。風俗店が消え去った町並みの残骸と、残された入れ物だけが空しくあるその状況は、言わば手術失敗後の痛々しい生身の人体のようです。
 そんな中でも内側からの新しい変化、風俗店側からのたくましい変化もわずかながら見る事ができ、それは研究ノート1で提示した、"自浄作用を伴った独自の進化" という表現がふさわしいと考えられます。自治体や都市運用の要を握る者たちの目的がこの、"風俗店の壊滅" ではなく "浄化を促す選択的進化"を示唆するものだとすれば非常に先見性があると個人的には思います。

 2について
 都市環境の良否を、視覚的な物で判断した方が分かりやすいといいましたが、その視覚的な物が持つ意味は同時に機能やバランスを伴った上での見た目です。中身のない都市環境は言い換えると、臓器のない人形のような人体模型といった感じです。経済的な視野で装飾された都市環境が、その予算的な規模では本来の良否が判断できないのと同じです。都市の夜景を何万$とかで表現するのとは異なり、夜景を都市の内部から見てその良否を判断するとでも言えば分かりやすいかもしれません。
 遠視的に都市環境を見るか?それとも、近視的に見るか?そのどちらでもなく、複眼的に見ればもっとわかりやすいのか?

 3について
 単純に風俗を楽しむという視点で、街を実際に歩いて見た方が、感覚的に分かりやすい。キャバクラならこの辺、ヘルスはここ、ソープはあっち、などなど。呼び込み、キャッチ、ボッタクリ、はたまたタチンボ外国人など。実際の街によって風俗店の印象も雰囲気も全然違う。数年前までは異常な熱気をもっていた西川口も今は、閑散として、歩いてみた雰囲気がだいぶ異なる。ひっそりとした越谷も西川口とは異なる変化を遂げたと思う。 バランスをどこに求めれば良いのか?
 商店街の活気か、大型デパートの進出か、きれいに区画整理、環境美化の進んだ美観都市空間か?確かにそれは必要だし魅力的な要素と言える。だが、それだけでは風俗を必要とする人たちにとって、全く街としての楽しみが見えない。
 風俗がまずあってその後に、補助的な機能として飲食店や、商店街、デパートに、飲み屋、バーなどがおまけであると言う意味ではないが、その一つ一つがバランス良く機能してこそ、視覚的に魅力のある都市空間と言えるのではないでしょうか?

 最後に
 都市の美観を著しく脅かすような、風俗店は必要ないが、都市の一つの魅力である風俗を根絶やしにした状態の町並みでは歩く楽しみがない。できれば良いバランスを持った状態で、今後の独自の発展を期待したい。

 以上、研究ノート3回目は『都市環境と風俗店とのバランス』についてお伝えしました。次回はまとめとして ぱるる氏にならって自分なりの『風俗情報リテラシー』を準備しております。

 以上、最後まで読んでいただき ありがとうございました。

 埼玉支部 越谷事務所長 reel (H18.09.28)

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