by オーヤ氏
3年間の活動休止から復帰いたしましたオーヤです。平成17年に日ピン研に入会、平成20年までの3年間、主に関西メンバーの方々に良くしてもらい、共に楽しく遊び倒しました。ですがある時なんとなく気持ちが冷めてしまい、風俗で遊ぶことはなくなり、それにともない日ピン研や風俗店のサイトにアクセスすることもなくなりました。
風俗遊びを辞めた以降は、もう一つの趣味であったクルマに没頭しました。サーキット専用車両を買い、時間と金と情熱を注ぎ込みました。気がつけば風俗で遊んでいたときよりも多額の金を散財しておりました。そんなクルマ趣味も一通りやりたいことやってしまい、興味を失いつつある平成23年現在です。
石の上にも3年と言いますが、私の場合はなんでも3年で飽きてしまうようです。
3年間の空白で、活動のほとんどを忘れてしまっていました。日ピン研の自分のレポを読んで「あー、そうだったそうだった」と思い出せるのはまだいいほうで、中にはレポを何度読んでも、その店に行ったことすら思い出せないものも。そんな中、レポを読み返さなくても心にずっと残ってたのは、ほんの数人の嬢と数軒の店だけ。その忘れなかった嬢と店をここに紹介したいと思います。
【ヘルス嬢Mちゃん】
ルックスは超S級だけどサービスはスーパーソフトな子でした。だけどなぜか通ってしまってました。メアド交換したら、顔出しの写メとか送ってくれたりしてました。あと稀に普通の雑誌モデルみたいなのもやってたみたいで、出たときはそのページも送ってくれたりしてました。
【ピンサロ嬢Rちゃん】
若○千夏似。体の相性は抜群でした。行くたびに「今度ご飯行こうよ」と誘われ、店外とかあまり興味なかったんですが、再三誘ってくれるので一度だけご飯食べに行きました。が、外で会うRちゃんはなんだか魅力半減で、ああ、やっぱりハコの中だけにしときゃよかったなと。
【桑港異人館】
20代のときにも数回だけ風俗経験ありましたが、それのどれもが酷い地雷ばかりで「こんなののなにが楽しいねん?」と、風俗を完全に諦めてた自分に、風俗の本当の素晴らしさを教えてくれた罪深い店。
【ペロティッシュ&十三チョイスショット】
一時期、本気で十三に引っ越そうかと思ったくらい衝撃的な店でした。無くなってしまったのが本当に残念でなりません。
【堀之内アラビアンナイトでの二輪車】
男なら一度は、と思い切って奮発して行きました。それはそれは夢見心地のすばらしい世界でした。でも高い(笑)。こういう遊びを度々できるような稼ぎある男になるぞ!と決意させてくれました。
【番外編】
福原の某高級ソープに行ったときのこと。受付を済ませた私の後に、高○純次似のそれはそれはダンディな紳士が入店してきました。紳士もこの店ははじめてのようでしたが、まったく気後れしている様子もなく、店員さんと軽妙なトークを交わし、パネル見学もそこそこにあっさり入店を決めました。
待合室にはバーカウンターがあって、そこで系列店の嬢がドリンクを出してくれるというイベントが行われてました。私は、自分がこれから入るわけでもない嬢を相手にどう対応していいかわからずただ戸惑うだけ。対して紳士は、「キミかわいいねー、あ、へー、系列店の女の子なんだー、じゃあその店行ったらキミに相手してもらえるんだねー」と、嬢相手にも軽妙トークで和んでました。
上がり部屋でも紳士と遭遇。私が必死にモザイクなしアルバムで嬢の顔を脳裏に焼き付けてる最中に、紳士が後から上がってきました。紳士にベターッとくっついて離れない嬢。ソファに座っても、嬢は引き上げようとせず紳士にまとわりつき「ねえ〜、今度はいつ来てくれるの〜?ほんとう〜?絶対だからね〜」と、他の客(私)がいるのも気にせず抱きついてチュッチュッしてます。もちろんそれは通常サービスではなく、その紳士だけの特別なものだったでしょう。嬢もきっと本心から「この客にはまた来て欲しい」って思ったんでしょう。私はそれを見ながら「将来は、高級ソープ嬢も一発でメロメロにさせちゃうような、あんな男になりたい」と心に深く決めたのでした。
そんな思い出たちが、私をまた風俗遊びと日ピン研の活動に引き戻してしまいました。これからもまたKEN会長はじめメンバーの皆さんとともに、また日ピン研読者、風俗愛好家の方々とともに楽しい思い出を増やせていければいいなと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
親衛調査隊 首席参謀 オーヤ (H23.02.20)