by ルノアール氏
こんにちは、ルノアールです。
4月末からの大型連休でドイツオーストリア旅に行って来ました。
ミュンヘン2日目は(旅行最終日の前日)はストリップクラブ(ポール
ダンサーの店)に行ってきました。
【調査】レポートNO.332
【時期】2026年(令和8年)5月初め
【場所】ドイツ・ミュンヘン
【店名】ナイトサーカス(ストリップクラブ)
【業種】ストリップ
【HP】https://nightcircus-munich.de/
【費用】入場料20Eで2時間滞在
(別途ドリンク代21Eほど)
【店舗にいたる前段 〜 ビアホールからのポールダンス店〜】
・今回の旅行においても、昨年同様にミュンヘン市内に存在し続けている件の、
ビアホールへ数回足を運んだ。その店の名は、国営・ホーフブロイハウスである。
前の欧州大戦前に、ドイツのN政党の要人が訪れた歴史的な場所、見方を変えれば
曰くつきの場所なのである。件の政党の結成後に、やがて党首になり最後は第三帝国
の総統にまで成る人物が、何度も演説をした場所として超有名である。
もちろん、2026年現在、そこでビールジョッキを傾けている人たちのいったい何
割
がその事実を知っているのかは不明。何しろ、件の男の最初期の演説が当ホール3
階・
大ホールで行われたのは1920年。今から106年も前の事なのだから。
いや、逆に現代のネット時代であれば皆が知識として知っているのかもしれない。 私が保有する旅行ガイド本2冊にも、ビアホール紹介の文言なりコラム記事等に必ず 一言の、党集会や総統演説の歴史が載っていたりする。
・ビアホールの場所は、ミュンヘンの中心街(旧市内の中で最も繁華街)である、 マリエン広場(壮大なマリエン教会前の広場)から徒歩10〜15分にある。 その道中に偶然見つけたのが(昨年行った)ストリップクラブだった。今年も 同店の健在ぶりは確認したが、今回は河岸を変える事にした。
【店舗へ】
・当店は、市内到着後に初めて宿泊したホテルのある、ミュンヘン中央駅前から
徒歩10分、シラー通り近くにある。因みにシラー通りの1本西にゲーテ通り
というのもあり、ドイツらしいというか、有りがちな命名という気も?
・付近は中央駅近隣ということで、いろいろ商店、土産物店、両替店、カフェ等が
雑多に立ち並ぶ。当地で街歩きした時、日本と一番違うのがコンビニが見当たらず
ファーストフードやチェーン店も極端に少ない事(駅構内や、ショッピングモール
で探せば有る事もあるが、かなり限られる)
・逆に、コンビニ・ファストフード等の定番カラーが皆無の「着色の少ない」街中で
は
目指す種類の店は明らかに異彩を放つ。夜の遅い時間帯だったので、グー○ル先生も
使用したが、明るいネオンですぐに店の前に到チャック出来た。
【入店】
・店は商業ビルの1階に入口。看板もネオンもハデハデだが、「Night Club」の文字
が
際立つのですんなり入店。(いや、先にウィーンで真昼間に行ったラウフハウスの方
が
Peep(ノゾキ)の文字と、どピンク看板に引きそうになりながら、堂々と入れた
笑)
・入ると1フロア全部が通しの空間。客用シートとカウンターバーのスツールが並
び、
奥にはダンスステージと中央にポール。入店時、ちょうどくるくるポールダンス中。
開店後すぐの時間帯だったが、客入りは6〜7割以上。予約席のテーブルもあり、
団体らしい客も。中央駅から近いせいか繁盛しているようだ。
・係の男性の案内で、カウンターの席へ。単騎の訪問なのでこっちの方が安楽ではあ
る。
席について、ミュンヘンビール注文。メニューを見ると、ビールとソフトドリンク系
(ノンアルコール)は全部7E。チラ見すると、高級ワイン・シャンパンも品揃え。
・ビールを飲みつつ、いよいよダンスフロアの方を注目。
【ダンス嬢について】
・ダンス嬢の国籍は見た目、東欧系・露系または土(トルコ系)。一部南米系も。
入店時には東欧系(おそらくRマニアか露系)の女性が踊っていた。比較するのは
アレかと思うが、先の風俗系店舗(FKK,ラウフハウス等)の女性達の出身国分布
と良く似ている感じだ。
・更に比較するのはアレだが、街中や駅・電車等で目だって多く、土(トルコ)を含
む
イスラム系女性を見た。宗派にもよると思うがヒジャブ(頭全体と首まで覆う布)を
着用しているので一目瞭然だし、着用してなくても話すと「土(Turkey)」と言われ
たことが何度も。移民が多いのもドイツ特有であろうか。
さすがにポールダンスの店に(厳格な)宗派の嬢は居ないと思うが、ハーフ&ハーフ
や
クオータも居るのでその辺はよく判らない。
・ステージにはポール1本、見るとステージは意外と狭くソロステージ中心だった。
バックダンサーが出てもマックス2〜3人で一杯に。
・嬢1人目 東欧系、アラサー美人。スタイル抜群、妖艶系ダンス。
・嬢2組目 バックダンサー2人と登場。東欧系。20代前半〜半ばで若くスリム。 ダンスは皆キレキレで上手。ポールダンスは上手。しかし画伯(私ですが・・)の 好みは、バックダンサーの1人。色白・中肉中背でお尻やや大き目(笑)
・嬢3人目 ソロ。20代後半で黒髪。土(トルコ)か南米系。妖艶美女。 スローテンポな曲中心で、見せる構成。ダンスは断トツに上手い。 ここでいったん休憩タイム。音楽はダンス系から今時のディスコ(クラブミュー ジック)、ダブ系と変わり、何故かオリビア・ニュートンジョンのカントリー ロードも。フロア客は大合唱(笑)。カウンターでコークゼロ注文して一服。
・約30分後、次のダンスショウ開始。
・嬢4人目 ソロ。スリムで若い。東欧系
・嬢5人目と6人目 どちらもアラサー。余り記憶に無い
・嬢7組目 先の2組目と同じチーム。既にオキニに決定したバックダンスの子も
当然出てきたので、思わず大き目の拍手と声援を送った(笑)
・以降は先の1回転目とほぼ同じ進行に。
・当店は、おいしいお酒を飲みながら妖艶なナイトショー(ポールダンス)を見る のが主眼(コンセプト)。一応客は皆、ジェントルメン(紳士)という扱いなので 撮影したり、スマホをかざす客はあまりいないようだった。画伯(私ですが)的には オキニの子の姿をちょっと撮りたかったが。ポラタイム的なものも無かった。なお ストリップ店という名ではあるが(おそらくドイツ国内の法律により)御開帳は無い ようだ。胸(トップレス)だが下の方は最小の(最低限の)ナニかを着用。
・約2時間滞在。時間も来たのでダンスの切れ目にチェックアウトすることに。 カードで支払。入場料とドリンク代、サービス料だけである。昨年の店ではショウの 合間に、ダンサーが客席を回る顔見せがありその際オキニにチップ等をはずむ機会の 集金(応援)タイムがあったのだが、今回は途中退出するまでその時間もなかった。
・バックダンスのオキニ嬢にチップを渡したり、出来たらお話しもしたかったのだが (ラストまで粘れば機会はあったと思う)、終電と翌朝の予定もあるのでそこで 退出することにした。
採点(5点満点)
【店 舗】3
【嬢外観】3+〜4+ 美人揃い
【C P】3+
【総 合】3+ 夜のエンターテイメント
【エピローグ】
・今回、旅行先でミュンヘンを含むドイツ主要都市の風俗系の記事を調べて
いた時のこと。
・前レポにも記したがドイツで風俗店と言えばまずFKKが有名。次に来るのが
ラウフハウス(他の呼び名もある。置屋)、エロマッサージ(メンズエステ)
エスコートサービス(デリバリー)など。で、それらの中にストリップ(〇○も
有り)の記事が有り、思わず二度見。
・記事によれば、ストリップクラブの中には、ショーを見て気に入った嬢を選ぶ。
ステージの奥または2階部分に個室があり、客は嬢と個室へ行きサービスを受ける
と言うもの。サービスの内容は、個室で、客の膝上でダンス等の密着やマッサージ、
次に、Hdjob、Blowjob、更に嬢(と交渉)により、○○まで有りというもの。
要は金次第で最後まで、という感じですが、全くの驚きでした。
・ただし全部のストリップクラブがそういったサービスをしているのかどうかは
今のところ不明。調査研究途中という所です。
・旅行前に、この記事を発見できていれば、こっちの分野のストリップクラブも
訪問したかったところですが、今後の課題という事に。
【エピソード】
・話は前後し、あちこち飛びますが。ベルリン訪問・観光時にようやく総統官邸・防
空壕
の跡地を訪問。それはナニかと言うと、第二次大戦(欧州・ドイツ)の最終盤の数か
月の
時期に、ドイツ・第三帝国の要人(含む総統)が最後の砦として立て籠もった地下壕
(ブンカ
ー)の事である。総統が籠ったので、総統地下壕(フューラー・ブンカー)と呼ばれ
る。
地上1階、地下数階(15m)約30室から成る。
空爆等の攻撃に耐えられるよう、厚さは上面で4m、四周と下面では最低でも2.5
mもの
強化コンクリートによって造られた。地下壕は、総統大本営としての役割を果たして
おり
ドイツ国防軍最高司令部、陸軍と海軍の総司令部の中粋に関わる者もここで勤務して
いた。
・最終的に、東方から反攻のソ連(当時)軍がベルリンに迫る中、上記の関係者の多
く
は地下壕を脱出、首都ベルリンを逃れたが、総統その他少数の人達は最後まで残り、
彼らにとって最期の地となる。
・で、戦後すぐに地上部分は破壊され、強固な地下部分は埋め戻された。 現在では前部分が駐車場になり、広大な後背部分に数棟のアパルト(公営住宅)が 建って いる。往時の物は何も残っておらず、案内板(地下壕見取り図付き)が1枚立つばか り である。訪れたのは夕刻だったが、スマホを手にした観光客が引っ切り無しに来てい た。 総統地下壕も今や、ベルリン歴史観光コースのひとつになっているワケである。
更に。。総統地下壕から徒歩数百mの所に、広大な「ユダヤ人・ホロコースト記念
碑」
が立てられ、これまた観光地化している(意味合いは相当異なるが)。。
以上、ベルリンから(ストリップクラブはミュンヘンから)お届けしました。
・調査の旅はまだまだ続きます。。
・・・また投稿させて下さい。
四国支部長 ルノアール (R08.05.29)