〜©日本ピンサロ研究会〜

「当会創立25周年記念寄稿」

by まるひ29氏


25年の振り返りとこれからの活動

 日本ピンサロ研究会の皆様、こんばんは。海外本部長のまるひ29です。

 日本ピンサロ研究会25周年、誠におめでとうございます。これも、会員の皆様の投稿だけでなく、1年365日、サイトの管理並びに、日々レポートをアップし更新作業をなさっていただいたKEN会長の努力のたまものであります。コロナ前に行われたバンコク合同調査の際、日本時間の午前0時に更新作業をしている姿を拝見して、会長は毎日これをずっとやり続けているのだなあと感嘆致しました。会長なくして、25周年は達成できませんでした。改めて御礼申し上げます。また、事務局の皆様、本部長ならびに各支部の支部長の皆様の多大なるご尽力にも御礼申し上げます。

 25周年記念ということで、勝太郎事務局長より、記念投稿を依頼されましたので、海外本部長として、25年の振り返りとこれからの活動について書きたいと思います。

 さて、25年前を振り返りますと、私はまだ日本に住んでいて、海外調査は年に3回程度しか行っていなくて、専ら日本の風俗を楽しんでいました。特に好きだったのは、西川口、草加、越谷で、当時はNK流などと言われていて、西川口の京浜東北線のホームから風俗店が丸見えで、大変賑わっていました。当時は、家出少女の×Kだとか×Cなどがいて、また価格も60分1万円前後と安くて随分遊びに行きました。日本ピンサロ研究会ができる前は、情報は専ら、スポーツ新聞や夕刊紙のピンク欄と三行広告、電話帳並みに分厚かったヘブンなどの雑誌といったアナログ情報だけでした。デリヘルやホテトルも公衆電話ボックスに電話番号の書かれたチラシが貼ってあり、公衆電話が見かけなくなった今と比べると時代の流れを感じます。

 25年前の海外風俗も、ネットなどの情報がない時代でした。東南アジアの風俗は、ゲストハウスの情報交換ノートが主流でした。有名なところでは、カンボジア・プノンペンのS村などは、ゲストハウスからの情報でした。ヨーロッパの風俗は、オランダアムステルダムの飾り窓が最初の体験で、そこの嬢からFKKの情報を知り、若気の勢いのまま突入していき、FKKのお客さんと仲良くなってエロスインや東欧の風俗街、東ヨーロッパの国境沿いに建つ売春小屋などを教えてもらうなど、ネットがない時代はとにかく足で情報を得るという今では考えられない大変さと同時に冒険もあり楽しかったことを覚えています。

 私が、日本ピンサロ研究会を知ったのは、2003年くらいのことです。体験者の率直な感想に面白さを感じるとともに、お店に忖度しない姿勢に共感を覚えました。ただ残念なことに、10年近くただ見るだけで投稿しない状態でした。その間、西川口や草加、越谷が大規模摘発されたり、沖縄のちょんの間が潰されたりしました。海外風俗でも、韓国の清涼里や龍山などの置屋街も摘発されたりしていたころで、逆に中国では深センや東莞などの風俗街が大盛況の時代でした。会員になって投稿していればなぁと後悔しております。

 私が正式に入会したのは2012年10月でした。私が入会したきっかけは、仕事を辞めて自営業になり、職場に遠慮せず活動できるようになったことと、海外で生活し始めたこと(入会当時は、フランクフルトに住んでいました)そして、海外風俗をもっと会員の皆様に知ってもらいたかったことでした。

 正式に入会が認められ、海外風俗を投稿し始めました。初めのころはドイツにいたので、FKKが多かったと思います。日本にいる会員の皆様が合同調査を行い、楽しく懇親会を開いている様子を読んでいて、日本に帰ったらぜひ参加したいと思って初参加したのが、沼津合同調査でした。緊張しながら、会長に声をかけたことを今でも覚えております。懇親会で会員の皆様が優しく声を掛けてくださり、何回か懇親会に参加するうちに、そのころちょうどフランクフルトからバンコクへ越してきたころで、海外合同調査ができないか考え、ドイツのKKかバンコクかどちらがいいかを会長に相談したところ、ドイツは遠いから近場のバンコクでということで、会長と勝太郎さんにバンコクにお越しいただき、無事に開催できたのが2015年8月のバンコクプチ合同調査です。そこから、バンコクとジャカルタで合計5回合同調査を行うことができました。また、多くの会員の皆様にご参加いただき、海外風俗を体験していただけたことは、海外本部長として入会の目的を果たせて嬉しい限りです。

 これからの活動として、まずはコロナ渦のため、中止している海外合同調査復活させたいと考えています。まだ正式には決まっていませんが、私は現在、ジャカルタに住んでいるため、来年の夏ジャカルタ合同調査が出来ればと考えています。お盆の時期を考えております。海外風俗に興味のある方、ご参加ご希望の方は、ご検討のほど宜しくお願い致しますとともにご一報いただければ幸いです。

 また、海外本部の後進の育成も急務になります。海外本部は、会員の数も少なく、また実際に活動している方もほとんどいない危機的な状況です。私自身もあと数年で還暦を迎えます。海外本部長として、海外合同調査など継続できるだけ継続していきたいと思いますが、私とともに活動してくれる、新たな会員の方が入会していただきたいと切に願っています。この投稿をごらんになっている海外在住の方がいらっしゃいましたら、ぜひ当会に入会して一緒に活動しませんか。風俗のネタだけでなく政治や経済など多岐にわたって、議論できる懇親会はなかなか魅力的です。会員の皆様は、みな社会的に地位のある紳士の集まりですので、同好の士の方、入会なさりお会いできるのを楽しみにしております。

 日本ピンサロ研究会の25年は、日本および世界の風俗史として貴重な資料です。私が風俗デビューして約40年、日本ではピンサロ、ソープ、ホテヘル、デリヘル、新地などで遊んできました。海外では置屋、マッサージパーラー、エロスイン、立ちんぼなど様々なお店に遊びに行きました。栄枯盛衰という言葉の通り、2000年ごろのあれだけ盛り上がっていた西川口や最近ではかんなみ街など摘発を受けて消えていった花街も多くあります。海外では、バンコクのマッサージパーラーなどは、日本人客が多かったナタリーが摘発され閉店、名店と言われたバンコクコージーなども閉店し今はコンドミニアムが建っています。カンボジアの風俗も置屋などがなくなりつつありますし、ミャンマーの風俗もだいぶ変わりました。最近私も投稿数がめっきり少なくなり、反省しているところですが、日本ピンサロ研究会の意義は、風俗史としてその時代その時代の歴史を残していくことにあると考えております。風俗体験したら、どんなことでも投稿するように心がけたいと思います。

 最後になりましたが、日本ピンサロ研究会が、今後も30年、35年、40年そして50周年を迎えますよう、皆様のご健康と風俗活動のご多幸を心よりお祈り申し上げます。

 お読みいただきましてありがとうございました。

 海外本部長 まるひ29 (R05.12.13)

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