〜©日本ピンサロ研究会〜

日本ピンサロ研究会創立20周年記念
「20年間で消えてしまった風俗地帯の想い出」

by まるひ29氏


 「20年間で消えてしまった風俗地帯の想い出」

 日本ピンサロ研究会の皆様、こんばんは。20周年心よりお祝い申し上げます、海外本部長のまるひ29です。
 20周年記念ということで、つたない寄稿を上梓いたします。お読みいただけると幸いです。

 私が、当会に入会したのは2012年です。それ以前から、日本ピンサロ研究会は知っており、定期的に読ませていただいておりました。ただ、私の風俗の拠点は海外であり、たまに日本に帰国して、日本の風俗を楽しむ程度だったため、投稿することもなかったのですが、風俗史の一面を持つ当会の意義は大きいと考え、参考程度にでもなれば、と考え投稿及び入会することとなりました。
 私の風俗歴は、大学生の時の巣鴨のピンサロがデビューでしたので、30年強になります。その間、消えてしまった風俗地帯も数多くあります。そんな中から、想い出に残る消えてしまった風俗地帯を綴りたいと思います。

@深セン・中国
 日本ピンサロ研究会が発会した1998年当時、海外で一番アツい風俗街が深センでした。
 香港から鉄道で国境を越えると置屋街があちらこちらにありました。置屋街は、人が一人すれ違うことができるくらいの狭いところで、表向きは床屋や雑貨屋だったりしましたが、女の子が外に向かっていすに座りずらりと並ぶという、それはそれは見ごたえのあるものでした。料金も100元と安く、店によっては80元だったりして格安でした。中国人相手というより香港人相手のため、女の子のレベルも高く、みんなスタイルがよくて若いというすばらしいものでした。また、女の子が腕をつかんで自分のお店に連れて行こうとしたりして、結構強引でした。
 通っているうちに、置屋のやり手おばさんと仲良くなると,こちらの好みに合わせて「イースー」とか「イーウー」なんて女の子も調達してくれました。もちろん処女の子も結構調達してくれました。また、公ではない置屋地帯も数多くあり、置屋の女の子が1万人以上いたと聞いています。
 当時香港で、深センの風俗地帯のガイド本なんかも売っており、中国政府も半ば公認だったのではないかと思います。
 2010年くらいに大規模な摘発があり、壊滅状態になり、今となっては貴重な想い出です。かろうじて残っているところもありますが,共産党政府の意向でいつ潰されるかわかりませんし、公安ににらまれても嫌なので、近づかないほうがいいです。

A西川口・越谷・草加
 今では、すっかり中国人の街と化した西川口ですが、大規模な摘発が起きる前は、9000円で1発できるという夢のような街でした。越谷や草加も風俗店が結構あり、西川口流とか越谷流・草加流などと呼ばれており、足しげく通いました。当時はJ○がいるお店などもあり、スポーツ新聞も結構取り上げていたので、そのうちやられるぞと思ったら、案の定やられました。
 あの当時、西川口に住みたいと思ったくらいで、また何かの形で復活してくれればと思いますが、時代的に難しいんでしょう。残念です。

Bタイの風俗
 タイもここ10年ですっかり変わってしまいました。特に置屋がほぼ壊滅状態になっています。10年前までは、どこの街に行っても必ず置屋街があり、300バーツから500バーツぐらいで遊べました。チェンマイやチェンライ、メーサイなどは、若くてかわいい子が多く、楽しめましたが、経済発展とともに消えていきました。バンコクのマッサージパーラーもナタリーやバンコクコージー、アムステルダムなど閉店した(摘発された)お店もあり、バンコク合同調査もできなくなる時代が来るのではと危惧しております。

おまけ
CS村・カンボジア
 カンボジア内戦終結後にプノンペンの近郊にできたロリ○ン村です。今から30年ほど前にあのような村があったという事実と,実際にそこにいた者としては感慨深いものがあります。2ドルであんなことができたなんて、いまだに信じられません。けれど、事実です。似たような村は、現代でもありますが秘密・・・。

 以上4箇所の想い出の地を取り上げましたが、風俗はその時代その時代で次々と生まれては消え、また生まれては消えていきます。書き残していかなくては、その時代何があったのか時とともに消えてしまいます。当研究会の膨大なレポートは、次世代に向けての平成風俗史として長く受け継がれていくものだと思います。

 入会前の消えてしまった風俗のため、今までレポートすることもなく私の記憶の中に沈んでいた、○秘の想い出です。史実として残すためには、会員の皆様の入会前の想い出の風俗というコーナーを作っても面白いかもしれません。

 最後になりましたが、当会の皆様の活躍と当会のますますのご発展を祈念いたしまして、10年後も海外本部長として活躍できるよう精進してまいりたいと存じます。20周年、本当におめでとうございます。

 海外本部長 まるひ29 (H30.07.24)

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