〜©日本ピンサロ研究会〜

日本ピンサロ研究会創立15周年記念
「日ピンと私」

by 勝太郎氏


 日本ピンサロ研究会15周年おめでとうございます。
 私が入会したのは、2006年4月ですので、7年の月日が経ちました。まさに光陰矢の如しという感じです。
 会員歴が15年の半分にも満たない私が代表の一人として寄稿文を上梓するのは僭越ではありますが、総務部長の指名ですので、「日ピンと私」というテーマで述べさせて頂きます。

 日ピンについては、入会する1年前位に風俗情報サイトを検索して知り、吉原に行く時にちょくちょく参考にさせて頂いてました。当時からソープにおける”即尺即ベッド”が大好きだったので、諸先輩方のレポートでそれの有無やプレイ内容を確認していました。
 入会を決意した理由をどなたかに聞かれて、思い出せなかったのですが、記憶を辿ると、その年の3月に掲載されたGONさん(当時千葉支部長)の「吉原合同調査」の会務報告がきっかけでした。これを読んで、16人で吉原を練り歩く様子を想像すると、これは凄い会だなと率直に思いました。そして、いつか合同調査に参加したいなと思い、会長に入会希望のメールを送った次第です。

 初投稿(2006年4月14日掲載・仙台ソープ「マキシム」)のレポが掲載された時は感慨深いものがありました。今見ると拙い内容ですが、諸先輩方のレポを参考に書きました。
 初めて会員さんとお会いしたのは、会長ではなく・・・。悪太郎さん(当時東北支部長)と呼塚の男さん(当時C中隊長)でした。お二人が仙台に来られた際に声をかけてくださいました。あの時のことは今でも忘れません。お二人とも多数のレポをお書きになっており、いわゆる”神セブン”的存在でした。そのお二人に日ピンのイロハを教えて頂き、下ネタ中心の飲み会の楽しさを知りました(笑)
 そして、その年の東日本本部の御用納めに参加させて頂き、会長以下、当時の主要メンバーとお会いできました。
 初めての合同調査参加は、入会の翌年に行われた水戸でした。天王町を練り歩き、入会のきっかけとなった吉原合同調査を思い出し、感慨深いものがありました。噂で聞いていた、会長が白い人だったり、ピンクタイガーさんが本当にピンクだったり・・・。練り歩きも楽しいですが、前線基地と称される喫茶店やファストフード店での語らいも楽しいです。

 月日は過ぎ、いつの間にか古参になりつつありますが、これまでの調査活動を振り返ると、単独調査から、プチを含む合同調査時における調査が多くなり、会長を始め、多くの会員さんと交流させて頂きました。これまでお付き合い頂いた皆さんには改めて御礼申し上げます。
 合同調査の懇親会は、風俗ネタ、下ネタ、時にはレポートに書けなかったことの披露などが話題の中心になります。会社やオモテの仲間などの飲み会で話したら、即変態キャラになってしまうことでも大丈夫です・・・。個室なら(笑)
 そんな訳で、合同調査の楽しさにすっかりハマっている今日この頃です。これも、これまで出会った会員の皆さんに優しく接してもらったからに他ありません。オモテの友達や会社の同僚とはこんなに親密かつ何でも話せる人はいません。
 今後もこのペースで調査活動をしていくつもりです。合同調査についても、可能な限り参加したいと思います。

 最後になりますが、日ピンが今日この盛り上がりがあるのもKEN会長の日々の更新及び全国各地への訪問等に他ありません。更新が遅れた時などは、会長の身を案じてしまいます。くれぐれもご無理をしないで、ご自愛ください。
 日本ピンサロ研究会の今後の発展及び会員の皆様、読者の皆様のご健勝を祈念して、本文を締めたいと思います。

 調査部長 勝太郎 (H25.09.07)

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