〜日本ピンサロ研究会〜
Knight NAITO Week Special Report
調査報告「渡鹿野(わたかの)島探訪記Part1」
by ナイト内藤氏
ナイト内藤の渡鹿野(わたかの)島探訪記Part1
以前から「渡鹿野(わたかの)島」の存在、噂には聞いていた。
ある人曰く「漢のパラダイス」、またある人は「現世(うつしよ)の桃源郷」だと言った・・・。
エロスとタナトスの実存する場所、それが「渡鹿野(わたかの)島」。貴方は知っていましたか!?関東以北では、あまり知られていませんが関西では割と有名な場所。家族には「賢島に観光や釣りに行く」などと建前を言って、こっそりと渡鹿野(わたかの)島に渡る人が多いそうです。今回はその知られざる秘島「渡鹿野(わたかの)島」について書き綴りたいと思います。
序章:「渡鹿野(わたかの)島の歴史と背景」
一昔前は、女の子を借金のカタに監禁したり売られたりと、結構キナ臭い話も多かったそうですが、現在はそうでもない様です。
ここで少々、蘊蓄をば・・・「渡鹿野(わたかの)島」江戸時代は「風待ち」に寄る島として栄えたそうで、人が集まると売春が盛んになるのは至極当然の成り行き。当時は島の女の子を「把針兼(はしりがね)」と言ったそうです。
「把針兼(はしりがね)」とは、志摩の鳥羽港周辺の水上売淫婦を指す言葉で、この地域の遊女は小舟に乗りて入港の大船に至り、船頭に春を売り、なお船頭の望みによっては、10日間から半月間程度の買切りにて、他の港へ往復する期間、船に乗り込む事もあったそうです。船に乗っている間は、着物の仕立、雑巾(ぞうきん)綴り、ボロの繕いなどもしていたそうで、「把針兼(はしりがね)」とは「針仕事を兼ねる」と言う意味らしいです。
その後、明治時代に入って娼妓の外出は厳禁とされ、港湾稼ぎを停止されて把針兼(はしりがね)業も廃絶。しかしながら、私娼はそれでもお上の目を盗んで春をひさいでいたそうです。さらに時代は進み、昭和に入ると島は激しい空爆を喰らい、戦争の影響をまともに受けました。それでも色と女は根強いもので、戦後復興を経た今もなお三重県の暗部を囲い込む様に、渡鹿野(わたかの)島の内部では連綿と続く遊女の歴史が枯れる事なく続いているのです。
さて、渡鹿野島は、近鉄志摩線の鵜方駅から7〜8キロほど離れた渡船場から乗るわけですが・・・この船も深夜0時まで運航していて、夜の目的はみ〜んな一緒という、なかなか珍しい島です。
表向き(昼)の顔は「ペットと泊まれる宿」や「伊勢湾の海産物を堪能できる場所」として売っている様です。しかしながら、島における地場産業のメインはやはり「色売り」なのでしょうか!?渡鹿野島内部の宿泊施設の公式HPを見るとエロメインの様相は隠蔽出来ない程、全面に押し出されています。はっきり言って風俗店のHPと変わりません(実際、一部の検索エンジンでは風俗系に類していて二度爆笑!?)
第1章:「渡鹿野(わたかの)島へのアクセス」
世の中には鶯谷駅、岐阜駅、比叡山坂本駅、新開地駅、すすきの駅、中洲川端駅etc・・・有名な「駅=エロ」的な場所は数多く存在します。「渡鹿野(わたかの)島」の最寄り駅は近鉄鵜方駅と言い、かなりマイナー系の駅に類するものの、特急が停車する存在感のある駅です。実際、小生は鵜方駅の正確な場所や位置関係も知らなかった上、渡鹿野(わたかの)島への具体的なアクセス方法も分かっていませんでした。
では実際に大阪・京都方面と名古屋・岐阜方面から近鉄鵜方駅を目指す場合、どうすれば容易に辿り着けるのか?これが意外と簡単で賢島行の「伊勢志摩ライナー(特急)」に乗っていれば自動的に近鉄鵜方駅へと移送してくれます。伊勢志摩ライナーの車内はかなり快適でゆったりとしたシートで快適空間を満喫できるでしょう。
・・・ただ、ここから先が問題!鵜方駅から渡鹿野島へのアクセスが殺人的に悪い!鵜方駅から渡鹿野島への渡船場まで距離にして約8キロ!道中の起伏もかなり激しく、歩いて到達するのは到底不可能。路線バスも"一応"出ているものの1時間〜2時間に1本程度の運行しかしておらず、利便性に欠けていて全くお薦めできない代物。やはりタクシーが最も最良の移動手段だが、それなりの料金を取られる上、行く場所が行く場所だけに運転手からの「あんたも好きねぇ〜!?」系のトークは避けられないのはチト痛い。
渡船場に到着するといよいよ対岸には渡鹿野島が見えていてテンションも上がりますが、ここで注意!渡鹿野島への渡船は時間によって料金が違います。昼間は良心的価格の一人150円(往復300円)なのに対して、時間が夜遅くなるにしたがって料金が高騰。片道運賃が一人150円から300円となり、最終的に500円にまで跳ね上がる仕組み。覚えておいて損はないです!
・・・では、小生はどのようにして、どうやって渡鹿野島へと出向き、そこでどんな体験をして帰還したのか?続きはこの後、「ナイト内藤の渡鹿野(わたかの)島探訪記Part2」にて!
京都支部長 ナイト内藤 (H16.10.01)
総務部から補足事項
本レポートの寄稿者,ナイト内藤氏が運営しているサイト「風俗放浪記」も是非お立ち寄り下さい。
〜日本ピンサロ研究会〜