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研究ノート「精巣水腫の臨床例」

by 風船工場長氏


 日ピン研をご覧の皆様、こんにちは。いつも大変お世話になっております。総務部の風船工場長でございます。

 ここ数年で、左の玉が大きくなって、タヌキの置物みたいになっておりました。原因は、私の場合水が溜まっていたのですが、この度,その根治手術を受けました。本件レポは、真面目に書きますので、いつも以上にオモローではなく、しかも長文なので1/2とします。サーセン。

(プロローグ1)
 玉が大きくなるのは、がんの場合もあるので、大きい方はお早めの受診をオススメいたします。場所が場所だけに医者へ逝きにくいのですが、精巣がんは進行が早いです。ただ、治りも良いのでステージ2だと、5年生存率は約90%と言われています。

(プロローグ0)
 中学生くらいから、左側がやや大きいかも知れないなぁといった程度でした。そのまま時間が経過し、大人になりました。当会入会前後の時分、心配になった(精巣がんと思った)ので、中規模クラスの病院に飛び込みで逝き、エコー検査ですぐに水腫であることを告げられました。水を抜きますか?と、医者から言われたのですが、タマに注射器を刺すことは信じられず、根性なしは退散しました。

(プロローグ2)
 高島兄が、なった病気です。私の場合も水が溜まるだけなので、痛くも痒くもなく、日常生活で特に不便を感じることもありませんでした。
 平成29年春、ゴルフをしなければならず、歩けないと思ったので、水を抜きに行きました。抜いた量、900CC。その後、タマが同じ大きさに戻ってしまったので、同年夏に水300CCを抜きました。300CCに留めた理由は、手術に備えるためですが、抜く前の大きさに戻る時間が、短くなっていたので、根治手術をススメられ、私も決意したのでした。春に頂戴した紹介状を持参し、再度別の中規模病院の門を叩きました。

(手術決定まで他)
 曜日で、手術の日が2日あるので、その選択から始まりました。入院日即日手術で、術後の経過観察を含め2泊3日の予定。金曜日に手術を実施し、10月の週末には予定がまだ入ってなかったので、そこに予定を入れました。術前検査の予定を、手術前週に入れ、手術の大まかな内容説明を受けて終了。
 術前検査は、麻酔に耐えうる主に呼吸器の検査でした。肺活量、レントゲン、止血で、1時間程度で終了し、新潟合同に向かいました。おバカですね(笑)。

(前日)
 前日昼に、来院時間を電話で伝えられました。当分の間は、発射出来ないだろうと考え、帰宅前に馴染みの鯛人デリ発注(笑)。おバカ具合は、恐れを知りません。手術予約時、前日21時から飲食禁止を言われていましたので、忠実に守りました。鯛人デリが終わった後、21:30ごろ、ついコーラを一口飲んじゃいましたが(笑)。ホントは、もっと飲みたかったなぁ。あ、忠実ではないですね。サーセン。

(入院〜)
 指定時間の30分前には病院到着。鯛人が病院の前に来てるとヤバいと思ったので、早目に逝ったです。緊張していたからではありません。
 約2ヵ月前に、手術の予約をしていたのが、もう当日です。病院に入ったら、急に緊張してきましたが、無事に入院手続きを済ませ、病棟へ移動。実にスムーズです。

(手術前)
 担当の看護師さんは、武田祐○アナに似ていました。程なく武田嬢に、浣腸をされました。勿論、マジなヤツです。う○こが終わり、麻酔医の説明がありましたが、事前に頂戴していた冊子を一緒に読み進める感じだったので、問題ありません。ただ、全身麻酔なのか、局所麻酔なのかの疑問があったので、聞いてみたのですがハッキリとした回答がなく、フリー上等の私は、「お任せ」を伝えました。心の中では、リスクが低いと思われる局所麻酔だと、勝手に解釈いたしておりました。

(即答、武田嬢)
 11時に手術に来られるか?との手術室からの問い合わせに、武田嬢は「イエス」を言いました。あと、10分です。私は、返って待つ時間が長いより、良いと思うことにしました。武田嬢の迅速で、的確なご判断に感心いたしました。

(手術室へ)
 歩いて、武田嬢と手術室へ逝きました。私は、手術台の狭さに驚きましたが、そこに腰を掛けるように言われ、すぐさま全身麻酔と言われました。能天気な私もここで、急に恐怖が襲います。目が覚めなかったら…あ、でもそんなリスクは、ゼロに近い程低いことを思い出し、そんなことを思っていたら、麻酔が流れきて数秒でオチました。

(手術終了)
 気が付いたら、病室(一般病棟)に移ってました。何よりも、目が覚めたことに喜びを感じました。お昼過ぎです。どうやら無事に終わったようです。麻酔が完全に抜けきるまでは、寝ぼけた感じがしました。手術室からの、ストレッチャーでの移動時間を加味すると、執刀時間は約40分で、概ね予定通りだと思い、安心しました。1時間毎に、血圧のチェックを受け、これが術後の管理なのだと思いました。この夜は、空腹と口の乾きで寝苦しく、15分おきに目が覚めていました。暑い、腹へった、水飲みたいとか、ブツブツ言っていました。良く考えたら、ナースコールをすれば良かったです。

(術後@)
 私は、腰が痛いことを思い出してしまい、同じ体勢でいることの困難さを、イヤという程体感しました。翌朝湿布を頂戴し、ようやく楽になりましたが、ベッドから起き上がることさえ困難です。尿道にはカテーテルが入っているので、心配ないのですが、暫くう○こをしていない不安がありました。しかし、これは術前に武田嬢から、浣腸を受けていましたので、心配ありませんでした。武田嬢は、良い仕事をするなぁと、再び感心しました。

(術後A)
 ベッドから、起き上がることが困難なことに驚きましたが、情けないことに、どうすることも出来ません。そんなことを思っていたら、執刀医の回診で、尿道のカテーテルを抜き取られました。入れる時は、麻酔後なので痛くありませんが、抜く時は麻酔がありませんので痛いです。
 その後、執刀医から、幾つかの質問がありましたが、脳ミソが「はい」しか言えませんでした。これで、あと2日で元の生活に戻れるのか、不安でした。

(枯渇する口)
 夜勤の看護師は、サー地でした。朝になり、引き継ぎまでは、このサー地看護師がご担当です。飲食禁止の札が私のベッドに掛かっていたので、翌朝7:20にサー地ナースが来たときに、確認をして欲しいことと、それがいつまでなのかを併せて聞くよう質問したのですが、完全なる放置プレイを喰らいました。前々日の21:30にコーラを一口飲んで以来、何も口にしていません。

(サー地ナース)
 別のナースから、サー地振りMAXの事実を知ることになりました。
別の看護師「え?まだ食べてないんですか?風船さんの、ありますよ。お水も飲んで大丈夫ですよ」
冷めたと形容するより、冷えきった私の朝食がありました。勿論、水も飲んで問題ありません。温厚な私、女子に対してとは言え、優しく文句を言いました。

私「早く言ってよ〜」

 起き上がれない私は、そこから3分以上待たされ、ようやく水を口に含めました。こんなにも水が美味く感じたのは、いつ振りでしょう。怒りが収まらない私、ご飯と汁物だけを食しておかずを残すという、意味のない抵抗をしました。

(日勤ぽっちゃりナース)
 サー地ナースから交代ですし、さっき起こして貰ったので、エンジェルに見えました。私が、キレ易い患者だという話になったのか?!分かりませんが、ぽっちゃりナースは、「身体拭きます」と言って下さいました。私は、「明後日退院なので良いですよ」と、優しく断りました。もしかしたら、加齢臭が漂っていたのかも知れません。サーセン。

(お会計)
 退院日が、日曜日で当該病院の入院会計は日曜日が休業とのことで、前日に支払うよう言われていました。夕方前には、まだまだフツーとは言えないものの、歩けるようになったので、会計に行き支払いを済ませました。金額約63,000円は、治療費(健康保険、自己負担3割)、差額ベッド代なし、食事代含むです。

(優秀おばちゃんナース)
 夜勤のおばちゃんナースは、優秀で私の微熱を見逃しませんでした。尚且つ、先生に相談済みで、抗生剤の点滴での投与が数回追加されました(感謝)。むむ〜やるな。サー地ナースには、ここまで求めませんが、せめて患者の意見に耳を傾けて欲しいものです。

(退院とタバコ)
 微熱は下がり切りませんでしたが、退院が許可され、退院しました。私は、愛煙家なのですが、2泊3日の入院で丸2日間禁煙となりました。喫煙は、麻酔時に嘔吐する人も居ると言われ、1週間前から禁煙と言われたのですが、そんなことをする訳がありません。しかし、入院日=手術当日は、マズいと思って禁煙したのでした。
 最近は、病院の敷地内で喫煙がNGで、その度に外出許可を貰うのは、許されたとしても変人だと思われるので、タバコを退院まで待つことにしました。退院直後、タバコとライターをコンビニで購入し、近くの喫茶店に入りました。丸3日振りのタバコは、思ったよりクラクラ来なかったので、損した気分になり、タクシーで帰宅しました。

(退院後と通院)
 帰宅後、ワーシャー。すっきりしたので、元気になった気がしましたが、タマの腫れとタマに熱があった感じがしたので、湿布を数日貼っていました。術後、稀に血腫が出来ることがあるらしいので、心配になりましたが、ググると大丈夫なようだったので、気にしないことにしました。近く通院の予定もあったことですし。

 退院の翌日夕方、用事があり外出。まだ微熱が下がりませんでしたが、キャンセルする程ではなく、強行。患部の腫れがあり、痛みが出てきましたが、横になれる訳もなく少し辛かったです。用事が済んで、夕食がてらに飲むことになったのですが、ビールを一口だけ。こんなにもビールが、入っていかなかったのは、人生で3回目でした(笑)。

 退院後の通院は、2週間に1度の頻度で2回逝き、終了。傷口を見るだけの、念のためってヤツです。心配していた血腫も、予想通りありませんでした。

(発射と調査)
 入院前に、鯛人調査をしておいて良かったです。術後の発射は、1週間後川崎合同で泊まった時のオナヌー。腰痛も辛かったのですが、ここで問題ないと思いましたので、先生への確認はせず、中洲デリでの調査が復活のノロシでした。また頑張れる、まだ頑張れると確認出来たので、嬉しかったです。

(エピローグ)
 よーく考えよう、身体が大事だよ。元気があれば何でも出来る。大した病気ではありませんでしたが、入院、手術すると、健康であることの有り難みが判り、ありきたりでも、そのことに感謝しなければならないと思いました。

 今回、川柳はNothingであります。サーセン。
 長文、駄文にも拘わらず、最後までご覧下さいまして、誠にありがとうございました。

 総務部長 風船工場長 (H29.11.22)

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