by KEN氏
ご好評?を頂いています,管理人のゲリラ的随筆,どうしても一言言いたいことがありますので書かせていただきます。
遂に我が陸上自衛隊が自国の指揮系統を維持したまま,海外に展開することになりました。今まで,カンボジア(終了),ゴラン高原(派遣中),東ティモール(派遣中)に陸上自衛隊の部隊が派遣されてきましたが,これは国連の一部隊としての派遣でした。しかし,今回は違います。日本と言う国が自国の意思のみで部隊を海外に派遣するのです。これの意味するところは大変大きく,後世の歴史では,必ずや,日本が変化したターニングポイントとして扱われると思います。
今回派遣されるのは施設科(工兵)部隊を中心にその護衛に当たる普通科(歩兵)部隊も百人以上派遣されるそうです。日本の歩兵が海外の地に展開することを一体15年前であれば誰が想像できたでしょうか?本当にこの国は動くまでの変化は遅いが動き始めると動きが早いな,と思います。現在国論が二分されていますが,これで大まかな国論の統一が図られれば,変化の速度は加速度を増してくるでしょう。
今回の派遣にあたり,カンボジアの時のように機関銃を1丁にするか2丁にするかと言った馬鹿げた論議は流石になかったようですが,それでも,携行武器にかなり制限が加えられているな,と言う気がしないでもありません。これも日本の「シビリアンコマンド」の悪弊でしょう。良く軍人の暴走を防ぐために「シビリアンコントロール」と叫ばれていますが,日本では何を勘違いしたのか,シビリアンが作戦や実施計画にまで細々と口を挟んできます。防衛庁の文官官僚は武官(自衛官)の言うことを聞かないのがシビリアンコントロールと思い込んでいると言う話を聞きました。1個分隊も動かせない,デスクワークの役人が作戦にあれこれ嘴を挟んでも巧くいくわけがありません。本来は戦略的な規範を国会が定め,細目は武官(自衛官)に任せる,そして戦略的な方針に反した時は武官を更迭し,国会が予算を通じて軍に縛りを掛ける,これがシビリアンコントロールのはず,文官(官僚)が武官をコントロールするわけではないはずです。文官優位と言う言葉自体が間違っているのです。国会(国民)優位と言うべきでしょう。防衛庁官僚は防衛に関する事務を受け持つ機関に過ぎないはず,防衛庁事務次官と統合幕僚会議議長は同列のはずです。いずれも国務大臣・内閣総理大臣の指揮を受けるのであって,防衛庁内局の下に自衛隊があるわけではないのです。
国会にしても細かいことを規定しすぎる嫌いがあります。やはりここでもシビリアンコマンドとシビリアンコントロールを履き違えているようです。
ああだこうだ言っても実際に派遣され,命を危険に晒されるのは自衛官です。国会で論議している議員でも,机で書類の決裁をしている官僚でも,風俗で遊んでいる我々でもない,親であり,子供である自衛官です。慣れない砂漠の地で,砂漠用の装備もなく,常に緊張に晒される自衛官たちに掛けるべき言葉を私は見つけることが出来ません。
せめて,自衛官が活動しやすい環境を作って送り出して上げたい,そう思わざるおえません。彼らに何故犯罪者と同列の刑法が適用されなければならないのか?何故自衛隊が希望した派遣人員ではいけないのか?シビリアンコントロールをすべき国会は全く明確な答えを出していません。派遣人員は自衛隊が700名を主張したのに,某筋は500名を主張したそうです。そして決まったのは600名。。。なんと間を取った,人員だそうです。軍事的合理性も何も考えていない。。。これが日本のシビリアンコントロールの現実です。
適用法令にしても渋谷の街中で銃を撃つのとは訳が違うはず,少なくとも,過失による加害行為は免責にすべきではないでしょうか。どこから撃ってくるか分からない土地で日本の一般法を適用すると言うこと自体,奇異に感じられます。
本当にこのまま派遣しては自衛官が可哀相でなりません。彼らが全員無事に帰還する事を祈って已みません。
ただ,忘れてはならないのは,陸上自衛隊の実戦部隊が海外に派遣された,と言う事です。10年後に配備される中型輸送機,5年後に配備される空中給油機や現在の輸送艦(ドック型揚陸輸送艦)を持って日本は海外展開能力が格段に高められます。そして戦闘部隊の海外派遣の実績も有している。。。諸外国は「日本は限定的ながら海外展開能力を有した。」と見るのです。国内法の制約などはどうでも良い,そのようなものは一変に反故に出来る,諸外国はそう考えます。この純然たる事実は絶対忘れてはいけない事でしょう。良く論議される国際貢献専用の組織を作ることも海外から見れば「兵站能力を向上させている」と見られるだけです。土木なら築城能力の向上,医療なら野戦救急能力の向上と受け取られかねない,いやそうではない,と言ってもそんなことは国家間では信用されません。結局は海外展開・侵攻能力を向上させた,と言う結論になるのです。そう言う事も考えれば自衛隊の使用は妥当と言えるでしょう。
日本は一度転げ落ちると急転直下です。昭和16年にアメリカとの戦争になりましたがそのほんの数年前までは国民は親米だったのです。5年前に誰が不審船を撃沈(正確には自沈ですが)すると思ったでしょうか?それも海上自衛隊ではなく海上保安庁が。。。最近では,ミサイルの発射基地を叩くのは自衛権の範囲内と国会で外務大臣が答弁しています。攻勢防御が言われるのは時間の問題のような気もします。実際に巡航ミサイル(トマホーク)の購入も一時期検討されたと言われています。いよいよ日本も来たな,と言う印象です。
全ての戦争は自存・自衛の名の下に行われた,この事実は忘れてはなりません。もちろん太平洋戦争が全て間違っていたと言いたい訳ではありません。逆に正当性の方が大きいと思います。しかし,負けると分かっている戦争はすべきではありませんでした。何故,三国干渉の時のように臥薪嘗胆が出来なかったのか,ジリ貧を恐れてドカ貧となってしまった,それが悔やまれます。
今,こうした動きを最も危惧しているのは他ならぬ自衛官達でしょう。誰が何と言おうと戦争で真っ先に死ぬのは彼らです,国内で最も戦争を忌み嫌っているのは間違いなく自衛官です。自衛官の暴走より怖いのは世論の暴走です。現在は良識派と自負している朝日新聞を図書館で見れば分かるでしょう,一体太平洋戦争戦争直前や開戦直後に何をどう言っていたか。。。時代の流れに迎合することしか出来ない,その姿が垣間見えるはずです。
イラクの大地に降り立った日の丸を掲げた軽装甲車や装輪装甲車をテレビで見た時は,理屈ぬきに思わず目が潤んでしまいました。日本ここにあり!きっと報道陣も主義主張に関係なく,遥かな中東の大地で見る日の丸には言いようもない感動を覚えた事でしょう。ある本では,根っからの左系の物書きがスエズ運河を航行する貨物船の日章旗を見て,涙を流していたそうです。これこそがナショナルプライド,真の愛国心ではないでしょうか。
自衛官の皆さんには,堂々と日の丸を背負って国の代表として胸を張って行ってきて頂いて,皆五体満足で,一人も欠けることなく帰ってきてほしい,そう思います。
日本ピンサロ研究会 会長 KEN