〜©日本ピンサロ研究会〜

10周年記念「あの頃は今...」

by やたり氏


 やたりです。今回、「あの頃は今...」の寄稿を依頼されました。
 小生の初レポは、H17年6月で、2年半しか経過していませんし、あの頃も何もあったもんじゃないですので、代わりに、かつて某氏より、小生の入会当時に”毎日のように”レポを乱発(笑)していた時の思いをテーマにした文を書くように依頼されたものがあったので、それを少し手直しして、ご紹介させて頂きます。


 まずは、客観的事実で自分を知る必要がありました。HISTORYを見ると、、小生のレポ最盛期は、H17.8月〜10月の3ヶ月の、14本、12本、14本。。。
奇(く)しくも、その後、某氏が、H18.8月〜10月の3ヶ月に、11本、13本、17本。。。
と、小生とほぼ同じペースでレポを上げられおり、すごいな〜と思って見ていたので、当時の小生も他人から見ると、やっぱりすごかったのかもしれません。
あまり自覚がないのが困ったものですが。(笑)

 さて、小生は、ピンサロという言葉を初めて立体的に知ったのが、H17年3月頃に、この日ピン研と出会ってからです。ピンサロの意味はもちろん、風俗業界での立ち位置だとか、時系列的な、趨勢(すうせい)とかいったことも一撃でわかり、大変新鮮でした。
 40歳手前のこの年になるまでに、行った風俗店はせいぜい10件程度。スポーツ新聞の広告を見て行ったり、連れていってもらったり、呼び込みについていったりと、業態の種類なんて何も把握せず、今から思えば、ピンサロ、ヘルス、マンヘル、ちょんの間、ソープと、全く何も知らず、つまみ食い的に、行っていた割には、結構、いろんな業態に行っていたようです。  それらの散逸された記憶が、このすばらしい、サイトと出会ったことで、「スキッと!」頭の中に系統立てられて、総括されたわけです。ものすごく感激しましたし、ちょんの間の歴史的なものを調べるにあたり、これもれっきとした文化なんだなぁと、心の底から嬉しくなった覚えがあります。
その後、ほどなく、小生も、わずかに出撃した経験を、レポすることになります。


”お役に立ちたくてしょうがない”

というのが当時、一番思っていたことだったと思います。

てっとり早いのが、”未レポ”店のレポであり、未レポゲッターの道を歩みだすことになります。


 それにしても、当時調査した業種を見てみると、セクキャバと十三のピンサロなどハコモノばかり。(^^; 当時まだ、ホテヘル群の知識がない自分にとっては、ハコモノの未レポ店を狙うと、自然に、業種ならセクキャバやエステ、地域なら十三という、未開の地になったのは自然の成り行きだったようです。

 それにしても、十三は本当に楽しいところです。誰も調査する様子がなかったけど、いい若姫店がいろいろあり、おまけに風俗遊びを、それほどしてこなかった人間にとっては、感動感動、また感動。レポの筆を楽しく走らせていたものです。


 ちなみに現在は、レポに関しては割と苦労して書いてます。(笑)
その一番の理由は、、、やっぱりマンネリ化。感動が少なくなったんでしょう。(^^;
 しかし、未レポゲッターの魂はそのままなので、無意味に未レポ店への出撃はあいかわらずで、レポが進まないので、常に未着手レポがいつも2桁ある状態になっており、これを消化するのがわが身の課題と、自分を追い詰めながら書いているところがあります。(笑)

 そんな事を書いて、レポを投稿していると、KEN会長から、本を読むとレポ作成がはかどりますよ、という助言を頂きました。
なるほど、文を扱う作業、アウトプットする作業になりますから、やはり、こまめにインプットすることも、重要なことなんでしょう。
といっても、結局、北海道行きの夜行の時ぐらいしか、じっくりは読めてなかったりしますが(苦笑)、即効性もあったように思います。

こんなわけで、最近は、レポの数もすっかり半減、まぁ今後はもっと下がってしまうとは思いますが、これからも、何らかの”お役に立てる”ことが、できればいいなと思います。

 特殊強襲調査隊長 やたり (H19.12.22)

トップページへ

〜©日本ピンサロ研究会〜