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10周年記念「あの頃は・・・」

by 爺氏


 爺です、10周年記念おめでとうございます。
 一言で10周年と言ってもここまで至るにはいろいろな苦労や努力があったと思います。更新であったり内容が内容だけに様々な障害等々、何よりも一番は投稿してくれる方々のレポートがあると言うことではないでしょうか。
 今回、10周年記念に際して執筆依頼が来たのだが、どうも古参メンバーに過去を振り返って欲しいと言うことのようである。まだまだそんな筈は無いと思っていたのだが…。

 私が当会に入会したのは遡る事5年ほど前の平成15年3月の末。当時はまだまだ歓楽街も元気な頃で淫靡に輝くネオンや呼び込みのお兄さんが幅を利かせておりました。

 4月下旬に最初の合同調査へ参加。同志の集まりの楽しさを知る。
 この頃から当会内で『草加・越谷』をはじめとする伊勢崎線エリアへの関心が高まる。 西川口流の流れを組む、いわゆる『ご当地流』と言われるシステムである。安い金額で若い女性とあんな事やこんなことが出来るということで一気に火が点いた。

 話は逸れるが当会での調査開始当時は『NK流』と何処の店でも言っており、その後の『草加流・越谷流』という言葉を広めたのは当会会員の努力の賜物である。
 中でも雑居ビル一つが全て店舗という『風俗ビル』があった越谷は冷静に見ると非常に異様な光景であった。
 当時は異例の『グリーシャン・トリック作戦』が急遽発令され私もその中のメンバーの一人として召集され公式・非公式と頻繁に調査が行われエリア内にある相当数の店舗が攻略され、またレポートも数多くアップされたことは記憶に新しいのではないだろうか。
 そしてこの頃から当会におけるレポの数も急激に増え、現在のような連続更新の日も多くなってきた。(当時は週に3〜4回の更新で日に4〜5本のレポ)
 また、調査回数を追う毎に参加会員も増え、合同調査の反省会だというのに納会規模のような20名以上の参加には非常に驚きを感じたこともあった。
 その後も同エリアはしばらく勢いがあったのだが、出る杭は打たれるのが常で店舗は当局からの片っ端から摘発の浮き目に遭い、また風営法の改正もあったため店舗型から派遣型に変わるもその勢いは急激に下降の一途を辿った。

 現在は当時の面影を残しているところも少なくまさに『兵どもの夢の跡』というような様子である。
 歓楽街のピンクなネオンも隠れてしまい非常に寂しい限りだが今後も当会のますますの発展を切に願いまた、少しでも皆様のお役に立つ調査や研究をして行きたいものである。

 総務部 総務課長 爺 (H19.12.21)

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