〜©日本ピンサロ研究会〜

10周年記念「光陰矢の如し。」

by KEN氏


 読者の皆様,いつも当サイトをご愛顧いただき有難うございます。
 お陰さまで,当会もこの世に産声を上げて,10年が経過しました。そこで10周年を記念いたしまして,あの頃は。。。と言うお題を頂戴し,総務部長より一筆書くように,との指示を頂きましたので,思うままに書き綴っていこうと思います。

 個人的に「あの頃」事で振り返ると,やはり会長職を拝命した時が最も思い出深いです。当会創立時,会長はX氏,サイト管理はSailor氏が担当しておりました。私が加入して2年ほど経過したとき,サイトのトップに突如サイトを閉鎖する旨の告知がありました。驚いてSailor氏に問い合わせると,要すれば,恋愛に打ち込みたいと。。。言う事でありました。まぁこれは仕方ないな,そう受け止めていたのですが,数日後,Sailor氏より私に「サイトを引き継いでくれないか」との打診がありました。日ピン研を残したい気持ちはありましたが,HPの運営など未経験の私はもちろん,辞退したわけですが,Sailor氏も各方面からの要望で日ピン研を残したい,と言う気持ちが強くなってきたようでした。私自身HTMLの存在さえ知らない状態で,とても受ける気にはなれなかったのですが「最も信頼出来るのはKENさんなんです,他の人には任せたくない」と言う一言に,意を決して受諾しました。
 Sailor氏からHTMLの初歩の初歩を教授していただき,サイトの運営をはじめたのですが,とにかく試行錯誤の連続で,非常に苦労したのを今でもはっきり覚えています。  独学でHTMLを習熟するほかなく,他のサイトのソースを見て,本を読んで,毎日毎日勉強の連続でした。あの頃は楽しくもあり,辛くもあり,今考えると,良くやったな,と思います。ちなみにその時Sailor氏から頂いた,必要最小限のサイト運営マニュアルは今も,私の机のバインダーに挟まって私を見下ろしております。
 当時アクセスは500hit/1日,累計42万hitだったと記憶しています。決して少ない数字ではないですが,どうせやるな,天辺を目指そうと色々考えた挙句,アクセスをupさせるは「更新頻度」と見定め,とにかく更新頻度を上げる事に力を傾注しました。そしてその結果,現在のように20000hit/1日を超えるアクセスを頂けるまでに成長しました。正に,継続は力なりを実感するに足る結果だと自負しております。
 そんなサイト運営の日々で,レポートなどには出てこない,サイトの裏の部分で記憶に残っている事を,皆さんに紹介したいと思います。

 

 KENの小さな一歩,日ピン研の大きな一歩〜初めての合同調査〜
 初めての合同調査は東京都の八王子市だったと記憶しています。その前に,OTTO氏や,NEO氏らと近隣で一緒にお店に行ってはいたのですが,まとまった人数で,現地で合流して行う,現在の合同調査のスタイルで行ったのは,この時が初めてです。
 当時,車でワイワイガヤガヤ地元から八王子に向ったのですが,その道中も今までに無い楽しい事でした。
 この時参加したのは,NEO氏,OTTO氏,YJ氏,KEN Mk2氏,JT氏,GE氏そして私の7名でした。これでも結構な人数だな,と思いました。
 皆で,ギャグ,マジに突撃し,その後八王子の中華料理店で懇親会をしたのですが,これが大変楽しい一時で,この時こうした集まりを各地で行えば,きっとその楽しさに会員も増えて,単なる仮想空間の仮想の集合体ではなく,もっと違った意義のある会に発展できると確信した,当会のその後を決定付けた合同調査でした。我々には小さな一歩ですが,実は日ピン研にとっては大きな一歩でした。

 殺人犯を探せ!〜ニュースステーションからのあるメール〜
 ある日見慣れないアカウントのメールが来ました。テレビ朝日からです。一体何かと思ったら「姫路で風俗嬢が殺されたが,何処のお店に所属していたか承知していないか?出来れば姫路の風俗事情も教えて欲しい。今日の夜のニュースで使いたいので,出来れば至急回答願いたい」こんな内容だったと記憶しております。これには私も驚きました。国内有数のテレビ局がうちに照会をしてくるとは。。。流石に私もそれは分からなかったので,某会員に問い合わせたところ,やはり分からないと。。。仕方ないので,地元のBBSをいくつか紹介し,こうしたところに思わぬ情報が転がっているかもしれません,と回答して終わりました。
 しかし,天下のテレビ朝日が。。。うちもソコソコの存在になったのかな,と少し誇らしく思ったものでした。

 作家デビュー??〜三流誌にライターとして参加〜
 ある日,私の法律系のコンテンツを見たという,三流出版社の編集者が,私に法律のコラムを書いてくれないか,と話を持ち込んできました。面白そうなので引き受けたのですが,どうも気に入ったようで,もう1本お願いしたい,と言ってきます。今度は一体何を書くのかと思っていたら。。。なんと「丸の内キャリアOLのナンパの方法」だと言います。若かり頃,ストリートナンパは毎日のようにしていましたが,OLなんてナンパした事はないので書けませんよ,とお返事したのですが,その編集者はなんと「いいんです,適当で,想像して書いてください。誰も分かりやしません,面白ければいいんですから」これには驚くと言うより呆れました。元々,書くのは得意なので,ものは試しと適当に書いたのですが,これがなんと「素晴らしいです,面白い,コレで行きましょう!」との返事。そしてそれが実際に掲載されてしまったのです。私の書いたハウツウで本当に実行した人がいたら。。。この時から,雑誌に書いている事は信用しない,を信条にしています。

 鈴木利信って誰だ!?〜アサヒ芸能に掲載された日〜
 それまでにも何度か雑誌に紹介されていましたが,アサ芸の時は今までと違い,本格的な記事になりました。都合3ページに渡る掲載は,掲載されてから私自身驚いたものです。
 アサ芸の記者がわざわざ私の地元まで来て,2時間以上,喫茶店にて,取材を受けました。内容的には,意外に正確に私の話を掲載しているな,と言う印象で,もう少し誇張したりするのかと思っていたのですが,ちょっとマスメディアを見直しました。ただ,名前が「日本ピンサロ研究会会長 鈴木利信 氏(仮名)」となっており,思わずふきだしたした記憶があります。
 後日,取材費の確定申告用の証明書が徳間書店から送付されたのには大変驚きました。

 日ピン研メジャーデビュー!〜CBC放送で当会会員が出演〜
 ある日,CBC(中部日本放送)の「ノブナガ」なる番組担当者からメールが来ました。私自身,テレビをほとんど見ないのと,その番組が首都圏で放送されていないため,正直???でそのメールを拝見しました。要すれば,私に出演して欲しい,と言う事のようでしたが,どうせたいした番組ではなかろう,と思っておりました。当初,私に出演して欲しいとのオファーでしたが,とてもじゃないがそんな気合は無いので,組織のトップが表立つのは弱小組織のすることだ,ともっともらしい理屈をつけて,他の方に出演してもらう事にしました。ただ,あまりこうしたマスコミとの交渉事に慣れていないので,交渉はこの業界に精通した某会員にお願いしました。
 そして放送となったわけですが。。。後に,爺さんから録画した動画を見せてもらって驚きました。今田浩司や岩佐真悠子が出ているではないですか!これはもしかして,中部地方では有名な番組だったのかもしれない。。。その時事の重大さに初めて気がつきました。いやぁ〜,自分で出ておけば良かった,もしかしたら今頃岩佐真悠子と結婚していたのかも知れないのに(笑)

 スパイを見つけろ!〜唯一の懲戒除籍処分の実態は〜
 ある日,当会の合同調査の予定が,私の送ったメールをそのままコピーしてBBSに貼られました。
 間違いなく,情報を書き込みしている奴がいる。。。
何とか手を打たなければなりませんでした。考えた結果,偽情報を流したのです。それも色々な状況を分析し,ある特定の人物に狙いをつけて,私には分かるあるマーキングをした情報を流しました。すると,そのメールから2時間もしないうちに,その人物はその情報をBBSに書き込みしたのです。正直,ココまで完璧に引っかかってくれるとは思わなかったので,ニヒルな笑みを浮かべて「情報を漏らしている方が特定できましたよ,○○さん」と書き込んで,当人に感激のメールを送ったのです。
 ちなみに2005年のヒストリーに当会初の懲戒除籍処分が載っています。

 白い人の秘密〜トレードマークの白い服はこうして生まれた〜
 ある日,某洋服店に買い物に行ったとき,目に付いたのが「白い」コートでした。とても綺麗で,あっいいな,と咄嗟に買ってしまったのです。しかし,男性が白のコートと言うのもあまり見かけません。少し躊躇っていましたが,ある風俗嬢が「白ってかわいい」と意外なお答え。そして,調子に乗って,白のジャケットなどを買ったのですが,それを見たある同僚が「もしかして,マイアミバイスの真似ですか?」はっ?マイアミバイスって何??にさ〜ん180氏に聞いてみると昔はやったアメリカの刑事ドラマだそうで,にさ〜ん180氏が早速DVDをくれました。それを見たときの衝撃は今でも忘れません。
「カッコ良過ぎる。。。」
その日から,白やスカイブルーの派手なスーツに無地のTシャツ,裸足(実は石田純一はこのドラマのドンジョンソンを真似して裸足なのだそうです)に白の靴&レイバンのサングラス(これはドラマで使っていた絶版品を探し出した逸品です)と言う私の井手達が出来上がったわけです。
 今ではすっかり派手な格好にもなれ,警察官に職務質問をされるまでに成長しました。最近では地味な格好が逆に恥ずかしくなってしまう,今日この頃です。

 こんな会員がいたの?〜現役風俗店長が入会したその理由は。。。〜
 今だから話せますが。。。。
 ある日,ある方が実名で入会の希望を出してきました。ところが,入会の連絡をして直ぐに「実は法律の事で相談があるのですが。。。」とメールしてきました。なんとそのお方は,今は無き名古屋の栄に所在したピンサロ「ぢんぢんぢん」の店長さんでした。お店が摘発されたが,営業を再開するにはどうすればいいのだろうか?と言うお話です。  私もその時初めて知ったのですが,ぢんぢんぢんは実は「店舗型性風俗特殊営業」の届出をしており,堂々と営業できる立場だったのですが。。。しかしこれは「ヘルス」なら,のお話,ピンサロでは営業できません。いっそヘルスにしたらどうか,と提案しましたが,どうしてもピンサロの形でしたい,との意向でした。
 風俗営業(飲食系)の許可を取って,店舗内を施行規則に合わせた形にして風適法違反を回避するか,施行規則を無視して,公然わいせつを回避するかの二者択一しかない訳ですが,どうも,前者を取りたい様子,なんでわざわざリスクを犯してまで。。。しかし,オープンスペース&回転系に拘る同店は結局前者の形で営業再開,そして今はもうお店は存在しません。。。

 喜びも悲しみも幾年月〜実は辛い時もあった更新の日々〜
 前管理者Sailorさんから引き継いでから丸7年,そして,4年間毎日更新をしてきたわけですが,正直辛い事も多々ありました。
 今でも思い出す一番過酷な時は。。。ある日大変仲の良い従姉妹が脳内出血で倒れて意識不明で病院に運ばれました。その日から,神奈川〜東京〜千葉を毎日行ったり来たり10日間近く悲惨な日々を送りました。仕事を終えて,東京の病院に直行,そのまま親戚・家族の送り迎え,帰宅が朝の5時,7時から仕事,そして終わって直ぐに東京へ,などと言う日もあり,ほとんど寝る時間もありませんでした。葬儀が終わり,自宅に戻ったときは,正直,ホッとした記憶が鮮明に残っています。
 もう一つ辛かったのは,去年,ノロウィルスに感染したことです。8時間近く嘔吐と下痢に悩まされ,熱も出るしどうにもならなくなり,もう意識も朦朧としてこれはダメだと思い初めて,救急車を呼びました。それでも更新しなければ。。。と布団で横になりながら,本数を半分にして更新をしました。FTPを完了した瞬間,PCを枕に寝てしまいました。多分,去年一度だけ一日のレポ数が6本の日がありますが,これがその日です。
 実は何が辛いかと言いますと,どんな時でもPCを持ち歩いている事かもしれません。たまーーーにある,デートの時もです。もちろん,レストランでも,喫茶店でもPCを開くような,友人さえも怪訝そうな顔をする男に,女性が我慢するわけも無く,大抵は見事に振られます。最近はもう,女性とお付き合いするのは諦めました(笑)
 しかし,ここまで来るとPCに向うのは食事やお風呂に入るのと同じ,更新は日常の一部になりました。多分,更新をしないとソワソワしてしまうような気がします。

 

 取り留めのない事をいろいろ書きましたが,長いようで短かったな,と言うのが今の率直な気持ちです。正直言って,ココまでやってきた自分を褒めてあげようかな,そんな風に思う,この頃です。
 とりあえずは,倒れるまで続けるつもりです。会員諸兄,読者の皆様,今後とも,ご愛顧のほど,よろしくお願いします。

 日本ピンサロ研究会 会長 KEN (H19.12.20)

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