〜©日本ピンサロ研究会〜

海外風俗事情 〜韓国編 part 2〜
with 西方見聞録

by サブちゃん氏


 既に10年程前になってしまうが、今回は韓国レポートである。最後に少しだけ他国の逸話も記すので、そちらも合わせて読んで頂けると幸いである。

 私が社会人となって初めて勤めた会社は某トラックディーラーであったのだが、メーカーより配布された社外秘営業マニュアルには「女を欲しがったら抱かせろ」とはっきり書いてあり、上司は確実にそのマニュアルを実践する方であった。年に数回お得意様を連れて韓国ツアーを実施するのだ。俗に言う2発3日ツアーである。
 新人の私は当然引率に選ばれる事なく、一人淋しくソープへ向かうのであった。

 それから数年後、私は別の会社で働いていたのだが取り引き先に韓国の会社があり、私はその担当となった。
 しかし、残念ながら取引先はテグーであり当時の私では、まだ言葉の通じぬ地で文字どうりの穴場を見つけることはできなかった。2発3日ツアーの夢がやぶれ意気消沈していた私に、ある日朗報がやってきた。
「ソウルで展示会があるから、お前その間一週間ソウルに居ろ」
というのである。

 数日後、私は期待に胸と股間を膨らませつつ(どっかで書いたな、これ)ソウルの地に降り立った。,br>  その日は忙しく、夜遅めにホテルへ向かい直ぐ眠りに就いた。
 明くる朝、ホテルロビーのソファーでコーヒーを飲みながらくつろいでいると、エレベーターのドアの開く音と日本人男性数人の話し声が聞こえてきた。何気なくそちらを見ると、皆、隣に女性をはべらせて腕を組んでいる。
 唖然と見ていると次のエレベーターが到着し、次ぎつきに隣に女性をはべらせたオヤジ連中が降りてくる。結局私が居た20分程の間に、それは男性十数人+同数の女性の集団になった。

 そう、これがあの有名な2発3日ツアーだったのだ。

 投宿先は「三井(サムジャン)ホテル」。実はここは「へそ下サムジャンホテル」だったのか。
 しかし、まだ私はどうする事もできない。どうしたら良いかわからないのだ。その後3日間悶々とした日々を送る私に、遂に援軍がやってきた。我が敬愛する工場長が、これまた(その道の)辣腕営業マンS君を連れてやってきたのだ。

 ホテルへ帰着後、部屋への道すがら私の悶々とした窮状を訴えると、工場長「うん、わかった」と言い荷物を持っているボーイさんにいきなり日本語で話し掛ける。

工場長:「女欲しいんだけど」
ボーイ:(にこにこしながら)「three ?」
工場長:「そうだ」
この間なにか怪しげな言語で会話があったが私には意味不明
ボーイ:「隣 カラオケバー。seven oclock」
工場長:「OK!OK!」

 海外処男の私がキョトンとして見ていると、チップを手渡し交渉成立。あっけないものである。,br>  食事は済ませてあるので、工場長の部屋で雑談をしていたら6時半頃になったのでホテルの外へ。隣を見ると「六本木」なる怪しげな看板をデカデカと掲げたカラオケバーが確かにある。数日滞在して、その看板に全く気が付かなかった私は一人苦笑する。

 早速入店すると40〜50人程入りそうなフロアに先客は4〜5人。7時を少し回った頃、女性3人がやって来た。店員さんと女性達が何か交わすと、店員さんが我々の方へやってきて、
「女性ガキマシタ」
工場長がそれにうなずくと、店員さんが女性に目配せして女性達がやってきた。

 一人はリーダーであろう。年齢は30を少々超えているが、牧村三枝子似のかなりの美人。後の二人は22〜23位で、スレンダーな子と太ってはいないがちょっとポッチャリ型の子。顔は普通でちょっとがっかり。
 初めての私から選ばせてもらい、やっぱり若い子だと可愛い系のスレンダーな子をチョイス。
工場長->牧村三枝子
S君->ポッチャリ型の子
と順当にカップリングも済、コンパがはじまった。

 リーダーの日本語は流暢である。他の二人は英語と織り交ぜ意志疎通はできる。その後3時間程飲んで歌って10時頃になったら、私がチョイスした女の子が手を引いて言う。
「ソロソロ イキマセンカ?」
私に断る理由はない。
工場長とS君、残り二人に謝辞を言ってホテルに戻る。

 部屋へ戻り私が先にシャワーを浴びベッドで待っていると、彼女がシャワーを浴びバスタオルを巻いた姿で戻って来てベッドへ潜り込む。初の国際親善である。
 女性からの奉仕は殆ど無いが、まずまずの2時間2回戦をこなし、まったりとした時間を過ごしていると、彼女が起きだし服を着はじめた。
 はて「どうしたの?」と聞くと「今日はどうしても帰らなければならない」と言う。

「おや、朝までの約束じゃなかったのか!」(この時点で私怒ってる)
「本当に今日は帰る必要があるの」
「いくらだ」
「3万」(最初の約束で円でOK、と言うより円を望まれていた)
「それは、朝までの話だ」「2万しか払えぬ」
「約束のお金貰えないのか?」
「これはビジネスだ、約束をやぶれば当然だ!」(2万を渡す)
「もうこの時間タクシーしか無い、タクシー代貰えないか?」
「駄目だ、金は払った。とっとと帰れ」

途中で帰ると言い出した事に腹を立てた私は、2万を握らせた彼女を部屋から追い出し直ぐにふて寝してしまった。

 翌朝、憮然とした表情の私が一人でロビーへ降りていくと、工場長とS君が昨夜の女性をはべらせニコニコしながら待っている。
 一人で降りてきた私を見て工場長が不思議な顔をしたので、昨夜のいきさつを説明した。
工場長曰く「良くやった」である。
牧村三枝子女史は「本当に済まなかった」と何度も謝りもう一人と共に帰って行った。女史によると、普通は12時位まで女性からホテルへ誘う事は無いらしく、ちょっと不思議に思ったとの事であった。

 その日、韓国最後の仕事を終えホテルに帰ってくると、工場長宛てにフロントに伝言があると言う。工場長がその伝言を見てどこかに電話して、何かしばらく話をして電話を切り言った。

「昨日の娘、ほんとに用事があって帰らなきゃならなかったんだって。」
「でも、約束を破ったのはこちらが悪いから、今日もう一度朝までOKの娘で、良い娘連れてくるからどうだだとさ」
もちろんOKである。このまま帰ると私もチョット気分が悪い。
「だと思ったから、イイヨって言っといたよ」
さすが工場長である。

 それから小一時間後、例の「六本木」である。牧村三枝子女史が、昨日とは違う二人の女性を連れてやってきた。
「!!!」

私は一人の新く来た女の子を見、一瞬にして全身が硬直してしまった(含、局部)。かわいい!なんて可愛い!!まさに地上に降りた最後の天使。身長は150位。色白で奇麗な黒髪のポニーテールが良く似合う・・・まるで妖精である。もう一人は既に私の視界から消えていたので、記憶にない。

 その後暫くお酒とカラオケが続くのだが、私はもうそわそわして落ち着かない。9時頃、ついに我慢できずにホテルへ誘う。快く承諾を頂き、私の心中なんか全ておみとうしの工場長と牧村女史の笑顔の見送りを受け、ホテルへ戻る。

 シャワーと言う彼女に「一緒に良いか」と問うと「バカ」と笑いながら服を脱がせてくれる。お返しにこちらも服を脱がせると、まさしくトランジスタグラマー(意味のわか らない方は、お父さんか、おじいさんに聞いて下さい)。透き通るような肌に派手めの花柄プリントのショーツが良く似合う。

この後の事はもう書けない。
勝手に想像してほしい。
一晩三回は久しぶりである。
全てが最高の夜であった。

 翌朝起きると、まだ彼女は寝ていまる。暫く時間を忘れ彼女の顔を見つめていたが、眠っていても妖精の可憐さは失わない。
 そのうち彼女が目を覚まし、目覚めの挨拶とキス。暫く抱きしめた後、最後の・・・。 余韻を楽しんだらいよいよお別れである。今度はきっちりと御礼をする。更にチップを渡したら、思いっきり喜んで抱き着いてきてキスの嵐。

 もしかしたら、前日のお詫びに高級コールガールを連れてきたのかな?と思ったが、この喜び方はそうではなさそうである。

 ロビーへ降りたら、やっぱり私が最後。満足そうな私の顔を見て牧村女史も安心顔。やはり評判がおちるのを嫌ったのであろう。
 名残惜しいが牧村女史と愛しの妖精に御礼と別れの挨拶をして暫くの後、帰国の途についた。
 帰国の道すがらキッチリと上司に業務報告をする。

 こうして私の6発7日の韓国出張は終わった。
 韓国最後の夜に素晴らしい思い出を残して...。
 そして私は以後社内で、「お替りのサブちゃん」と呼ばれることとなった。

 工場長が牧村女史から聞いた事であるが、日本人相手の娼婦は最高ランクであり、格下の娼婦とは話しもろくにしないとの事である。韓国は階級社会の側面もあるので少し納得。
 エスコート無しで部屋へ直行する者も彼女達よりワンランク下との事。それに前日の私のチョイスを見て、牧村女史はスグに私の好みを見抜き、また低い私の身長に合わせて、ちゃんと選りすぐって連れてきたのだそうだ。
 また私もすぐに気づいたのだが、彼女達は大蒜臭が全くしない。普段から大蒜の入った物は口にしないのだと女史は語ったそうである。食文化まで捨てるとはそれなりの努力と覚悟が必要である。プロとはそういうものなのだ。

 海外では地元の人々と同じ物を食すのが王道であろう。しかし、言葉は通じる方が楽しいと私は思う。始めに言葉ありき。沈黙はそれ程愉快なものではないのだ。

 

〜付録:西方見聞禄〜

1、台湾編
 敬愛する工場長の台湾出張での話しである。
 台湾のホテルのスグ近くにそれらしい店があり、その前に婆さんが座っていて、前を通る度に「ムスメ、ムスメ」と呼びかけるそうである。試しに話し掛けてみると「ムスメ」以外の日本語は通じなかったそうだ。
 ホテルに入るとまずボーイが「ムスメいらないか」と、いきなり話し掛けてくる。
 食事に出かけようとすると「ムスメか」と問い掛けてくる。「食事だ」と答えると「食事の後はムスメか」としつこく言い寄る。
 結局仕事が終わり最後の夜に「ムスメ」を呼んでもらうのだが、これがモデルクラスだったそうだ。
 御代は30Kだが、その前に市中引き回しにあい+30〜40Kはすぐ使わされる。しかし、工場長帰国後の一声は
「いや〜、台湾は極楽だ」

2、インド編
 ある社長の話しである。
 南回りでインドでトランジット。すぐさまタクシーで運転手に御相談。インドは暑いので、人肌の方が涼しくて気持ち良かったとの事。大物である。

3、イラン編
 港湾工事で有名なY建築の営業マン。
 イラン革命直後、革命防衛隊が支配する中でもちゃんとアンダーグラウンドでは売春宿が営業していたそうである。
 氏曰く「見つかったら銃殺は間違い無い、命がけだったよ」この御仁も大物である。

 風俗産業・経済研究室 風俗構造改革特別研究班長 サブちゃん氏