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研究ノート「堀之内回顧録」

by オッキー氏


 赤線・青線と呼ばれた売春宿が、売春防止法によって廃止されたのは1958年(昭和33年)だった。その2年後の1960年には早くも旧青線地帯の川崎・堀之内にトルコ第1号の「京浜トルコ」がオープンした。
 その後1966年にトルコ風呂の地域規制で堀之内と南町が指定されて以来、急速にトルコ風呂が増えていった。その頃のトルコ風呂はモルタルのバラックに近い建物が普通だった。その常識を破ったのが「川崎城」だった。
 1969年に城郭風の豪華な本格建築にしたところ、これが大当り。連日の満員で予約しないと入れない状態。当時,入浴料の相場は1000円だったが、川崎城は1500円。5000円という特別室まで設けた。
 その頃のトルコ風呂の軒数は東京216軒、神奈川139軒、全国で700軒余りだった。そして全国の業者が川崎城の成功に刺激され、豪華な装いと高料金を取るという方向へ流れていった。

 もうひとつ注目すべきことがある。
 この川崎城で「泡踊り」が開発されたことだ。当時は現在のようなインターネットや雑誌・マスコミにも取り上げることが無かった。したがって一般の人には知られずに口コミで関東一円にその評判が広まった。

 そして徐々に全国のトルコ風呂に広まっていった。泡踊りの進化形と言われる「ヘアーブラシ洗い」をあみ出したのは、同じく堀之内の「王将」「王城」「王宮」のチェーン店と言われる。業界では「王流」と呼ばれた。

 泡踊りの最中ににトルコ嬢が体の向きを変える時、客と体を密着させたままプレイの流れを変える事なく行うというテクがヘアーブラシ洗い。このテクも全国のトルコ風呂に伝わっていった。。

 会長付属調査隊 東部方面調査隊 神奈川地区調査隊長 オッキー (H18.10.19)

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