〜©日本ピンサロ研究会〜

日本ピンサロ研究会創立15周年記念
「日ピンと私」

by 風船工場長氏


 風船工場長でございます。いつも大変お世話になっております。

 この度、迎えることが出来ました15周年記念企画の寄稿でございます。これからも、一会員としてレポを一本づつ投稿して行く所存でございますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

「日ピン研と私」

第1章【15年前の私】
 当会のことは、まだ知りません。風俗、すすきのは行ったことがありました(笑)が、お金がもったいなくて、風俗に行くなら酒を飲んでました。すすきのには、スキーのついでに行く感じでした。スキーの行きと帰りにも寄り、団体行動を乱したこともありました。
 そう言えば、結構酔って帰宅した後、勢い余って?ピンクチラシでデリヘルを家に頼んだら、殆ど日本語が通じない鯛娘が来たのも、この頃だったような気がします(笑)。

第2章【当会との出会い】
 初めて知ったのは、すすきのソープを店名で検索していたらヒットしたときと記憶しております。しかし、当時の私は、ネット情報をあまり信用しておりませんでした。
 その後、どこかの店舗に入る際に、その店舗のレポを拝見し、店内の描写がそのままだったことにとても驚き、信頼度が一気に高まりました。その後、今日にいたるまで「日ピンを見ろ」を心に刻んでおります。たまに、見落とすことがありますが(笑)。

第3章【初投稿、初掲載】
 意外に思われるでしょうが、福原(兵庫県)のソープです。私も風俗愛好家の方々に、店の良さを伝えたいと思ったのがきっかけでした。
 レポ送信後から、毎日見るようになったカモ知れません。そして、平成22年11月2日。福原のレポが初めて掲載されました。あまりにも嬉しくて自分のレポをニヤニヤしながら、10回以上見ました。アホですね。

第4章【入会】
 申請をすれば入会可能とは知らず、30本以上のレポを寄稿していました。先輩方のレポを拝見すると、レポ数が当時非会員だった私よりも少なく、どうしても入会したかったので、厚かましい依頼とは承知の上で私から、お願いをしました。入会するにあたり、所属を北海道支部にすることも考えましたが、急遽懇親会の召集がかかった場合、行けない(笑)ので、素直に東京南支部である錦糸町を希望しました。
 会長からご返信で、私に入会のオファーをされるところだった旨を伺い、二人で驚きました。正式な発令としては、平成23年10月28日に会員(錦糸町事務所 主任調査員)となりました。振り返ってみると、前述の初掲載から約1年あったのが驚きです。程なく重鎮の方々から「入会祝辞」が届き、これまた感動したのを今でもよく覚えております。

第5章【合同調査】
 初めて合同に参加したのは、川崎で行われた御用納式でした。凄い人数に驚き、懇親会では、緊張し隅っこで小さくなっておりましたが、調査はソープと名称不詳と各1、計2軒行いました。
 当会で地方参加の初めては、てっきり山形だと思っておりましたが、確認のために会務報告を読み返すと、水戸でした。GON本部長の呼び掛けで、前夜祭が新宿で行われ、鶯谷のラブホに泊まり調査。水戸の復路、土浦の調査も行いました。

第6章【交流】
 合同、最大の楽しみです。普段中々話せない内容を肴に酒を酌み交わし、皆さんの生声等が直接聞けます。そして、楽しく飲み、その延長線上に私は酔っていて、幸せを感じます。おバカな私は、調子に乗り過ぎてたまに立ちゲロもします。
 とても知り合って短い時間とは思えず、濃い付き合いが出来ます。ご参加を躊躇されている方、私もサポートしますので乾杯し、共に調査しましょう!

第7章【これから】
 東日本大震災で甚大な被害を被った、東北地方訪問を私のライフワークとして行きます。皆様も機会を作って、一度ご覧になってはいかがでしょう。特に太平洋側の沿岸部の復興は、苛立ちさえ感じます。これは、決して冷やかしではなく、被災の風化を僅かでも遅らせることとなれたら、幸甚でございます。
 私ごときが、独りで行っても何も出来ません。しかし、何もしないよりは旅をすることで、地域復興、活性化につながっていることを切に願っております。

第8章【感謝】
 別のことに打ち込んでいたときに思ったのですが、社会人になり時間が経つと、仕事の付き合いが中心となりがちです。その日常を忘れる瞬間があることは、有り難いことだと気が付きました。これは、現実逃避の意味ではありません。その機会を与えて下さった会長、そして乾杯して下さる会員の皆さんに、厚く御礼申し上げ本寄稿を締めさせていただきたいと存じます。

 長文、駄文にもかかわらず、最後までご覧下さいまして、誠にありがとうございました。

 総務部長 風船工場長 (H25.09.03)

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