〜日本ピンサロ研究会〜

研究ノート「日本ピンサロ研究会と「知の構造化」」

by 司祭氏


 今日、様々な分野において専門化・細分化が進み、一人の人間がその全体像を把握することは大変困難になってきている。

 我々の日ピン研でも同様に専門化・細分化が進んできた。昔なら単なるエロとかスケベとか十杷ひとからげに言われていた。フェチというかなんと言うか趣味も細分化がすすみ「格安風俗の専門家」「乱パの神様」「裏風俗通」など登場してきた。際限のない細分化・成長と複雑・高度化は、興味のない者にとっては理解が困難になったのみならず、好事家にとってすら専門領域外について理解が困難であるという事態が起こった。

 「俺はソープ好きだから他のことはいいや」、「俺は乱パ以外興味ない。」そんな人はどうでもいいけど、例えば青森に行ったとき、どうしてももよおしたときはどうするか。青森にはソープもなければ乱パもない。このようなとき、細分化された複雑な知識をベースとすると共に、全体像も必要となることがある。
 つまり、人間は細分化された知識と共に、部分に蓄積された膨大な知見に基づいた全体像も必要としている。
では、いかにしてその必要を満たすことができるのか。「知の構造化」は"領域の深化"と"全体像の把握"という一見矛盾する2つの事柄を結びつけることでる。

 本サイトの研究ノート、体験レポを見れば青森の状況が分かる。また、大好きなソープ、乱パについても調べることができる。

 つまり日本ピンサロ研究会は「知の構造化」されたそのものといえる。

 「方法論のパラダイム」は自由である。
 つまり、このサイトに関してどうアプローチしようとどう解釈しようと読者自身の自由意志である。アダムとイブがりんご(知恵の実)を食べたのは自分で決めたこと、自由意志で、食べては駄目だといわれたもの食べて,起きた事は自己責任なのだ。
 もちろん、このサイトに書かれたことを信じるなと言ってるわけではないし十分参考になると思う。しかし、このサイトにあることをどう思いどう解釈して行動するかは自己責任である。ここの情報を見ていい思いした酷い思いしたそれぞれあったことをレポートしてもらえばよりいっそう信頼性の高いものになると思う。

 (H16.05.25)

トップページへ

〜日本ピンサロ研究会〜